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自分との対話が始まるお話♡映画『えんとつ町のプペル』感想◆アメブロからのお引越し記事◆

2019年1月11日~2023年11月末までのアメブロを閉鎖するにあたって、noteにいくつかの記事をお引越しすることにしました。
今回は2021年1月14日に書いた過去記事です。

先週の日曜、西野亮廣さんの映画「えんとつ町のプペル」を観て来ました。

(ムビチケをくれたあるちゃんありがとう!)

感想をがっつりとしたネタバレありで書きますので、「ネタバレだめ。ゼッタイ。」という方は読むのをお控えください。鑑賞後にぜひ

アニメーションの美しさに圧倒されたり、

ルビッチとプペルの友情に感動したり、

家族の絆に涙したり・・・

すごーーーく素敵な物語なんだけど、
同時にものすごーーーく不思議なんです。

なにが不思議かというと、
この映画のことを考えていると、
いつの間にか自分のことを考えているから。

ストーリーやキャラクターたちは綺麗に心のなかに溶けていって、テーマだけが胸にしっかりと残る感覚。

そのテーマ(夢や自分を信じること)について、自然に自分自身との対話が始まる感じがしました。

普通は「あのキャラがめっちゃカッコいい~!」「あのシーンが好きー!」みたいな、『その映画について』考えたり感じたことが、感想になる。

だけどどうしてか、この『映画プペル』を観ている間も、あとで内容を思い返しているときも、

いつの間にか私は自分の心をのぞきこんで、そこで見つけたものに納得したり驚いたりしています。不思議。

私がこの映画の中で一番共感したのは、アントニオです。

※画像はネットからお借りしました

空を覆う煙の先を誰も見たことがない世界で、星を見た。

空に星があるなんて信じられない。
それを見た自分のことも信じられない。

だって町を挙げて「空の向こうには何もない」と言っているし。

家族や友だちも「あるわけがない」と言うし。

「夜空には星がある」と言った近所のおじさんは町中で馬鹿にされているし。

だから見なかったことにしたけど、見なかったことにした自分を嫌いになった。

「星があるはずだ」と言う友だちのことも嫌いになった。

そんなアントニオが、最後にルビッチとプペルを手伝い出したときは泣きました。

見なかったことにして諦めた自分が正しいと思いたい、その気持ちを手放して、

「星があると信じたい」

自分の本当の望みをしっかり見たんだよね。

それに感動した。。。

それから、好きなシーンは

本当に星は存在するんだと分かったレター様が「煙を、止めよう」と言うところ。

※画像はネットからお借りしました

町に住む人に外の世界を知られないように煙を流したり、

現状維持の妨げになる人を異端者として逮捕する立場だけど、

本当は『腐る通貨』を開発したご先祖様みたいに、自由な発想でいろいろやってみたい人なんじゃないかなぁ。

声の大きな側近に圧倒されて、自分が思うことはなかなか言えない。

だけど本当の意味で自分を見失わないために、いつも通貨を弄んでるように見えて、応援したくなった。

だからこそ、レター様が最後の最後にその目で星を見て、その場で「煙を止める」と決めてくれたことが嬉しくなりました

書いていて気づいたのですが、

私はどうも

「最初は冴えない人、
 自分の思うように生きられない人が、
 あるきっかけで自分の想いに素直になる
(=生き方を変える)瞬間」

が好きみたいです。

それはきっと、私がそういう人間だからなんだろうと思います。

はじめから夢や自分を信じて貫ける、ルビッチやお父さんのブルーノみたいな人は、その『きっかけ』を与えてくれる大切な存在。

現実だったら、それこそ西野さんとかHappyちゃんとか八木さやちゃんとか藤本さきこさんとか吉本ばななさんとか・・・そういう素敵な人たちが、以前は羨ましくてしかたなかったから、

自分の個性なんて見ないまま、

自分を必死にそっちへ寄せようとしたりしていたなぁ。

そしてできない自分を責めたり、

行動しても「なんか違う」と自分を恥じたりしていた。(遠い目)

今、そういう人たちをただ『大切な存在』として感謝できるようになった自分が嬉しいな。

信じ続け、始める人も素晴らしいが、
後に続く人もまた、素晴らしいと思える。


ほら、こんなふうに。

この映画のことを考えていると、どんどん自分について、自分がこの世界をどう見るかについて考え出していく。

上質な物語(エンタメ)に触れると、自分のなかでこういうことが起こるんだなって初めて知りました。

西野さんすごいなぁ。
素敵な物語をありがとうございました!

『映画 えんとつ町のプペル』公式サイト

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