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自分が動けば、周りの目も変わる。

これは斜に構えていた私が、とうとう重い腰を上げた。
そんな話。

これまでの私は過去記事にある通り、
小中学校はなんとか友達がいたものの、結局不登校になり
あまり友達を意識することはなかった。

しかし、高校で通信制、しかも自力で帰るの無理!な島に
転校し、なんとか卒業できた後のこと。

私は高校卒業間近に悩んでいた。
このまま引きこもりニートになっていくか、働くか。
単発バイトを何回か経験したが、私には9時から17時まで
フルで働くというのが、無理だとわかった。

というわけで、人生の夏休みと言われる
大学進学への道を考え始め、オープンキャンパスにも行ったが
2校行っただけで終わった。
所詮は学校、また今までと同じになるに違いない。
という思いがあったからだ。

しかし、いつまでも引きこりニートもやってられない
同窓会や久しぶりに会う、小学校時代の仲の良かった友達に
「今どうしてる?」と聞かれるのが怖かった。

なので、アルバイトを始めた。
コミュ障でアルバイトの応募動機なんてほとんどなかった私は
面接で落ちまくった。だが、なんとかコンビニに採用され
ここで1年頑張ったら、大学に行こう。と決めたのだ。

4月中旬ごろからアルバイトを始め、
慣れてきた7月の頃、前回行った大学のオープンキャンパスに
再度行ってみた。今度は体験や学科見学だけでなく
きちんと学生課の話も聞いた。

学生課の男の人は
「私たちも、あなた方を見て合格かどうか選びますが、
あなたたちも、この学校を判断してください」
そう言われた。

学校は常に正しくて、どんな時でも一番偉く、従うだけの存在だと
思っていた私には衝撃の一言だった。

高校の勉強を全くしてこなかったので、センター試験で受かるはずはない
なのでAO入試を受けることにした。

これは全て、親にも姉にも秘密だった。
入試の日は高校時代の制服を着るとバレるので
黒のチノパンに白のシャツ、黒カーディガンで
「今日と明日はバイトの人が休みで長いから」と嘘をついて
はるばる片道1時間半かけて、大学まで行った

そして、1ヶ月後ポストに合格通知が届いた。

普通なら喜ぶべきところなのだが、私は悩んでしまった。
本当に4年間続けられるのだろうか、また辞めるのではないか
就職はするのだろうか、お金は大丈夫なのだろうか

悩みに悩んだ末、私は両親へ手紙を書いた

入試に受かったこと、でも辞めるかもしれないこと、
就職しないかもしれないこと、期待させてしまうかもしれないけど
それでも良いなら、お金をお願いします。

なんて身勝手な内容だろうと、今でも思う。
しかし、この入試までに私はアルバイトを1日も休まず
また、誰かの代わりにシフトに入ることもあり
少しは自信がついていたのかもしれない。

病気で手の力が弱くなった母からは
「辞めても良い、あなたがその学校で何か得るものがあるなら
私は応援します」と返事が届いた。
おそらく、姉に書いてもらった本文とは別に
封筒の名前だけは、自力で書いたらしく
ミミズが這ったような字だったが、これが母の気持ちだと受け止めた。

アルバイトのお金は入学金にあてた。
授業料まではさすがに払えなかったが、せめてもの自分の意思だった

そして大学生活が始まった。
広いキャンパス、大勢の人がクラスなどに分けられることのない
大教室での授業、決められた時間割でなく、自分で作る時間割
何もかもが新しく、そして自分で作る時間割は
私を感動させた。授業が立て続けになると、疲れてしまう私は
この日は2時間だけ、この日は夕方からなど
こんな自由にしても良いのかと、小躍りしてしまった。

しかし、学科の授業はやはり辛かった。
周りの皆はすでに友達を作っており、私はまた一人で授業を受ける。
昼ごはんは、誰も来なさそうな場所を選び、急いで食べる。

そんなことを1年半続けていると、体に負担がかかってきた。
一人で過ごすということは、誰にも頼れないのだ。
体調不良で休めば、友達がいればノートを見せてもらえるだろう。
しかし、私には友達がいない。

変わらねば。

このルートのままだと、また高校と同じになってしまう。

そこから私は、まず同じ学科の同級生の名前と顔を覚えることから始めた。
ご覧の皆さんにとっては当たり前かもしれないが、
私は顔と名前を覚えるのが、大の苦手である。
なので、授業中に何かちょっとしたことで話しかけ、
電話番号とLINEのIDをゲットする。
そして連絡先のメモ欄にその子の特徴をこと細かく記入した。

そのおかげか、2年になる頃には、それなりに話ができる子が増えた。
グループでの実習も、拙いところはあっても何とか乗りこなせた。
そして、昼ごはんも、一緒に食べれる友達までできたのだ。

今でも、高校時代の先生の言葉が頭をよぎる

「お前、そんなんじゃ社会に出られへんぞ」

そうかもしれない。でもコロナ渦を経て
今や一人で仕事をする時代になった。
この状況を見ている今、あの先生は同じことが言えるだろうか。

しかし、私は、斜に構えて自分から歩み寄ろうとせず
ただ待っているだけでは、状況は変わらない、
むしろ悪い方向に行くことの方が多い。ということを学んだ。

そして、自ら話しかけ、クラスメイトと繋がりを持つという
選択をした自分を、今は褒めたい。

あの選択をしたから、私のキャンパスライフは激変した。
授業は時折サボって、友達の勧める場所に行くこと
出席カードを遅刻した友達用に取っておくこと(これは悪いかな)
終電まで遊んでまた1限から眠い目をこすりながら授業に出ること

卒業した今でも、近況報告ができる友達ができたこと。

友達なんていらない、たった一人1日1時間も気を緩めず
一人黙々と弁当を食べていた、高校時代の私に言いたい。

最初は怖いけれど、自分が動けば皆も私を見る目が変わってくるよ。

と。

頑張りは必ず報われる。変わろうと思えば変われる。
あの時、あの会話から、私は変わり始めたのだから。

自分から動こう。そしたら皆ついてきてくれる。
周りは敵ばかりじゃない。敵も味方になる時もある。
一人でも生きることはできるかもしれない。
でも、一人はしんどくて、寂しい。

頑張って顔と名前を覚え、声をかけた私。
あの選択は間違ってなかった。

#あの選択をしたから

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