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ネザーランド・ダンス・シアター

2019年7月、世界的なコンテンポラリーバレエカンパニー、ネザーランド・ダンス・シアター(Nederlands Dans Theater、NDT)が13年ぶりに来日した。もちろん僕は初見である。かつてカンパニーを率いたイリ・キリアンの名前くらいは聞いたことがあったが、映像を見たこともなく、今回の来日公演の存在も唐津絵理さん(@eri_karatsu)にお声がけいただいて知った。

会場を訪れると、10歳になろうかという子供から80歳に近いであろう年配の方まで、老若男女様々な観客でごった返していた。その祭りのような熱気にようやく、NDTがとても特別なカンパニーであるらしいことを悟る。

公演は4本立て。芸術監督のソル・レオンと常任振付家ポール・ライトフットによる2作品と、招聘振付家のクリスタル・パイト、マルコ・ゲッケそれぞれによる作品。同じ身体的バックグラウンドを持つダンサーたちが出演しているにもかかわらず、振付が違えばこうも違った作品ができるのか、と思いながら観た。もちろんそれは、振付家の多様性ということだけでなく、その振れ幅に対応できるダンサーの能力の高さに支えられている。

ソル・レオン + ポール・ライトフット

1本目、サンギュリエール・オディセ(Singuliére Odyssée)。タイトルは英語でExceptional Journeyの意。スイス国境のバーゼル駅の待合室を模した舞台の空間は、日本人が「待合室」と聞いて想像する間隔より広く密度が低い。左手手前に大きな扉、右手奥に小さな扉があって、扉が開けばまばゆいばかりの白い光が行き交う人を照らす。

左手のベンチで小さくなってなにかをじっと待つ女性をスポットライトが照らす。右手から黒いシャツとパンツの男が歩み寄って舞台中央に立ち尽くし、大きく体をくねらせると舞台上の時間が動き出す。明らかにバレエで基礎固めされた肉体だが、ボディウェーブやアイソレーション、そしていったいどこからきたのやらというコミカルなステップも時に織り交ぜながらのソロに、まず頼もしさを覚える。

「行き交う」とは、行くこと、帰ってくること、会うこと、会うこと、別れること、そしてすれ違うことである。次々と入ってくる計8人のダンサーはペアとなって、あるいは群れをなして感情を表出しながら行き交う。彼女は彼に対して怒っている、あるいは彼を送り出し悲しんでいる、というのが、直観的に「わかる」ような振付が続く。駅の待合室という舞台背景もあいまって、そこで起こっていることを理解するのには言語を要さない。

振付の妙は感情表現のほかにもうひとつ、時間の表現であったように思われる。
僕の乏しい理解の範囲でいえば、舞台芸術の一つのキモは舞台の上の時間を自由に操ることができるという点にあって、これはどちらかといえばダンスよりも演劇において強調される話である。あくまでも時間芸術であるという前提とは別の次元で、舞台の上で表現される世界内の時間を止めたり、早回しにしたり、過去へ遡ったりすることができる、あるいは、こうした操作を一つの舞台空間の中で同時多発的に行うことができる。平たく言えば、舞台の上手と下手ではしばしば別の時間が流れているということである。

ダンスにおいて、こうした舞台上のコントラストは振付上の地と図という形で表れやすい。
最もわかりやすいのはメインダンサーとバックダンサーとのコントラストだが、そこまで極端ではないにせよ主旋律と副旋律とでもいうようなコントラストは頻繁に生じる。したがって、ダンサーの一部が踊っている一方で一部が立ち尽くしている、あるいは一部が激しくソロを踊っている後ろで軽めのユニゾンが踊られている、という局面自体は非常にありふれている。

にもかかわらず、レオン/ライトフットの振付を見ていると、そこに時間の概念が存在することを否応なく意識させられる。単なる主・副でも地・図でもなく―いや、実際にはそのいずれでもあるのだが—同時に踊っている2つの集団があきらかに別々の時間軸に置かれている、というふうに見える。

どうしてこういうことが起こるのか。振付という観点から具体的にいえば、ストップとスローモーションの妙である。身体運用の早さ・遅さ・停止がその空間の時間感覚を操作する。あるいは、複数人が同時に行うランニングマンとムーンウォークの間を取ったような歩行の妙である。歩く、という動作は時間感覚を規定する。歩いているダンサーと立ち止まっているダンサーの間には、別々の時間が流れているような気がする。

一方で4本目、シュート・ザ・ムーン(Shoot the moon)は、舞台装置の妙によって、切り分けられた異なる空間にまったく同じ時間が流れている、という真逆のことが起こっている。

舞台はベンツのマークのような三枚の壁で隔てられた三つの部屋。部屋と書いたが、うち一つはおそらく屋外である。2枚の壁にはドアが、1枚には窓がある。この三枚の壁が、なんと人力で回転する。同時にすべての部屋の中を見ることはできないが、窓を通じて、あるいはドアの細い隙間を通じてうかがい知ることはできる。舞台情報には2枚のモニタが設置され、見えていない部屋の中をリアルタイムで撮影した映像が流れている。

黒服のカップル、青シャツにスラックスの屋外で独りの男、部屋着の女と上裸の男。夜に蠢くひきこもごも、という様相で、この2 × 2 + 1が織りなす人間模様を眺める。ここでもやはり、身体運用そのものが不思議なくらい饒舌に感情を、あるいは関係を語る。それは言語化できないが、身体言語のみで構成されるレイヤーにおいて手ごたえの確かな物語を編み上げる。

壁が彼等を隔てている、という道具立てが良い。それは同時に、壁が我々の視線を隔てている、ということでもある。しかし一方では、ドアから出入りする、窓から身を乗り出す、窓の中に飛び込むといった演出が、隔てられた三つの空間を同じ時間軸で貫いてもいる。舞台には/社会には自分からは不可視の空間があって、そこでは私とすれ違うようにして今もなにかが起こっている、という、この言葉にすればあまりにも当たり前の事実を身体で思い出させるような演出だった。

クリスタル・パイト

3本目、ザ・ステイトメント(The statement)は先行した愛知公演の感想で最も頻繁に言及されていたような気がする。会議を模した構成で、言葉によって踊る、という道具立てである。

舞台中央に楕円形のテーブル。その上に局所的な照明が設けられている。机に伏せてうなだれる女と、それを叱咤する男。そこへ上の階から降りてきた黒スーツの二人。終わりの見えない会議が始まる。

不穏な重低音に載せて、会議中のやり取りのセリフが無声映画のアナウンスのように繰り出される。四人のダンサーは言葉をとらえて踊る。音としての言葉に合わせて踊る、しかし、その音は一応意味も持っている、という二重性によって成り立つダンスと演劇の間、というタイプの作品。

ストリートダンス風の言い方で言えば、音ハメと歌詞ハメを同時に行うタイプの振付ということになり、それ自体はさほど珍しくもない。しかしながら実際に起こっていることはもう少し複雑で、その複雑さは複数の身体の間に生じる「関係」あるいは「交流」という要素が織り込まれていることによる。

作品の中盤で、演劇的なセリフはもはや聞こえなくなってしまう。にもかかわらず、そこに言葉に類するなにかがやりとりされているのが見えてくる。ここからが面白い。言葉によって踊る、というのは本作の論点の見どころのひとつにすぎず、真に素晴らしいのははじめ言葉によって印象づけられた関係と交流がその後は身体運用のみによって維持されていく、という点である。

ダンサーたちの身体が、コミュニケーションそのもののように寄せては返す。一方が押せば、もう一方は引く。彼等は机を挟んで対舞する。ダンサーの一人が机の上に立ち上がり、下から見上げるダンサーたちをリードする。机をもう一つの床のようにしてふんだんに転がりまわる複雑な四人のコンタクト。四人でデスクを囲み額を寄せあって手振りでユニゾン。振付が感情を表現する、というよりも、振付が人間関係そのものの描写になっている、という次元の解像度である。

コンタクトのバリエーションがまた素晴らしい。単なるアクロバットではなく、身体の関係と交流がコンタクトによって存分に表現されている。古典的なコンタクトの「持ち上げる」「支える」「引っ張る」というボキャブラリを解体し、「開く」「抑える」「押しやる」といったより介入的なボキャブラリが強調して使われる。

比喩的に言えば、いわばパートナーの人格に介入するかのような振付。冒頭で提示される言葉、服装、そしてなにより身体運用によって、舞台上に仮構された固有の人格が踊っている、という感覚。そしてこの仮想的人格に対して、お互いの振付がたしかに介入しているという感覚。

こうして構築される関係は、絶え間なく、流れるように変化もする。肉体と肉体がその間に絶妙な距離を保ちながら寄せては返す波のように感情の応酬を繰り広げ、その総体として「会議」という集合的身体が、様々に形を変えて何度も舞台上に立ち現れる。

人間社会というのは、ほんとうに群舞のようなものだなあと思う。

マルコ・ゲッケ

さて、他の三本がいかにも演劇的な手法でストーリーを演出されていたのに対して、2本目のウォーク・アップ・ブラインド(Woke up blind)だけはそうではなかった。

舞台装置は最もシンプルで、真っ黒な舞台に夜空の星を思わせる光の点がいくつか。衣装は黒のズボンのみ、上半身は裸か、肌色のシンプルなタンクトップのみ。曲の変わり目でズボンが黒から赤に変わるが、それだけである。構成もシンプルなソロ回しとユニゾンのみ。他の三本のように意味を読みだそうとすると失敗するが、ゲッケの振付は純粋に身体運用の高度さそれ自体が非常に素晴らしい。というわけで、個人的にはこれが一番面白かった。

冒頭、舞台に小走りで走り出た男が、顔をしかめてその肉体を力強く痙攣させるのにもう痺れた。続くダンサーもみな激しい。足元の振動が波となって胸に伝わり上肢から発せられる。肩甲骨から先を鞭のようにはじけさせ、体に巻き付けて踊る。上半身をこれでもかとばかりにぐりんぐりんとアイソレーションさせる。肘から先の細かい振付も多い。そして、そのどれもが異様に素早い。
黒人が踊るクランプを、バレエを基礎とした白人が再構成するとこうなるだろうという趣の振付である。

1曲目、ジェフ・バックリィ「You and I」の柔らかい曲調と少ない音数に対して、明らかに過剰な密度で構成されるこの振付は、2曲目に入ってはじめて、極めて緻密な音ハメの様相を呈する。この展開が面白い。

一般に、時間軸上の身体運用の展開という意味でいえば、バレエが曲率半径の大きい滑らかな線を描くダンスであるのに対して、例えば手先で踊るタイプの民族舞踊などは短い周期で振動する線を描く。極端なケースでは点描のようなダンスというのもあり、ストリートダンスであればPoppin、とりわけアニメーションがこれに該当する。
思うにこうした運動の展開の差異は、まず音の違いによって規定されている。ピアノや弦楽器のような滑らかな線のような音で踊ればそういうダンスになるし、振動する線のような音、あるいは点の音の組み合わせによって踊れば当然そういうダンスになる。もうひとつは音数で、弦楽器一本の状態ではその音を拾わざるを得ないのに対し、バンド編成ならギター・ベース・ドラムのどれを拾っても良いことになり、自然と動きの展開は複雑な線を描く。

さて今回のゲッケの振付はというと、1曲目、明らかに与えられた音に対して振付の密度が過剰である。滑らかな線の上に無数の点を配置するかのような、別の直線の連続によって上塗りをしようとするかのような。言葉を変えれば、音楽にあわせて踊るという状態ではもはやなく、音楽のほうへ介入しながら踊るかのような過剰さがある。
これが2曲目「The way young lovers do」に入って曲調が激しさを増し、音数が増えると、音楽のほうが徐々に身体運用に追いついていく。身体が音楽に合わせるのではなく、音楽が身体に徐々にあわせていくようにして環境と身体が調和する。いや、録音された音楽とこれに対する振付である以上、実際に起こっていることは前者なのだが、まるで身体による絶え間ない介入によって音楽が再構成されていき、ついに身体との調和に至るさまを眺めているような鑑賞体験が生じる。こういうカタルシスの方法があったか! という新しい驚きがあった。

総評

ゲッケを除く3作品の手法について、ほとんど演劇のよう、という形容はおそらく最大公約数的に妥当な形容のはずで、しかしそれならばなぜ演劇ではなくダンスでやらねばならないのか、というところを突き詰めていくと、言語のレイヤーではなく身体言語のレイヤーでしか編み上げられない意味、ないし物語というのがあるからなのだろうなと思う。その言葉にされえない余白を各自が持ち帰ることにおそらくダンス鑑賞の面白さの本質があって、だからダンスは演劇よりもなおのこと、観てみないとわからない。

これを一意的に言語化するのは野暮というもので、まさしくここにダンス批評の難しさもある。余計なことを書いておくと、先日大きな本屋に行ってダンスコーナーを訪ねてみたら棚一つ分にも満たないほど小さくて、批評家が少ないと言われている演劇ですら棚三つ、さらに音楽や映画はダンスと演劇を合わせたよりもずっと広いという有様で、いったいこれはどういうことなのか、と肩を落としたことがあった。

しかし一方で、神奈川県民ホールのあの熱気はダンスのファン層の厚さを物語ってもいた。ダンスというのは言葉に/書物にされずとも一定数のあいだではきちんと経験され引き継がれていく不思議なジャンルだということなのかもしれない、それで良いのかどうかはまた別として。

***

ネザーランド・ダンス・シアター
会場:神奈川県民ホール 大ホール
日時:2019年7月5日(金)19:00、7月6日(土)14:00 

シュート・ザ・ムーン
 振付:ソル・レオン、ポール・ライトフット
 音楽:フィリップ・グラス

シンギュリア・オデッセイ
 振付:ソル・レオン、ポール・ライトフット
 音楽:マックス・リヒター

ザ・ステイトメント
 振付:クリスタル・パイト
 音楽:オーエン・ベルトン

ウォーク・アップ・ブラインド
 振付:マルコ・ゲッケ
 音楽:ジェフ・バックリィ

当日のキャストが掲示されていたようですが、見逃したので他の方のツイートから…。


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