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7つの意欲①  人間学 第4講

オンライン読書会ルドルフ・シュタイナーの「普遍人間学を読む」のレポートです。

長いので、2回に分けて投稿します。


今回は人間の「意欲」とは、一体何かということについて、学んでいきました。


私自身、現在の教育現場で子どもたちに一番大切に育むべきものは、「意欲」ではないだろうかと、ここ数年は実感していました。

ただ、それは学ぶ意欲であったり、世界への好奇心であったり、子どもたちがワクワクして学ぶ場所はどうやってつくられるのか、といった私の思う日本の教育の課題の1つとして存在していました。


では、意欲とはなんぞや?と言われても、そんなこと考えたこともなく、「意欲」は「意欲」でしょう。と丸ごと1つに考えていたのです。


だた、今回人間の「意欲」というものについて見ていくと、それはこの肉体が生まれてから死ぬまでの間、段階的にずっと育っていくものだということに気づかされたのです。

なるほど、確かにそうであるなと実感せざるを得ませんでした。


意欲には、7つの段階がある。

生まれてから だいたい7年間隔で人の成長をみていくのがシュタイナーの人間観ですが、それに沿って意欲の種類も、変化、成長していくのです。


0〜7歳  本能

7〜14  もよおし

14〜21 欲

21〜28 

28〜35  動機

35〜42 

42〜49 願い

49〜56 はからい

56〜63 つもり



これだけ書いても、わかりませんが、意欲にはこの7つの種類があり、その意欲の質を年齢とともに理解することができます。


つまり、赤ちゃんの「意欲」と学童期の「意欲」は違うものなのです。高められつつ意識に引き上げられつつ成長しているのです。意欲の成長というのはあまり聞いたことはないですね。


赤ちゃんの意欲「本能」は全て外側に現れます。それは、無意識です。おなかが空いたら泣く、心地悪かったらぐずる。そういう形で外にすぐに現れます。


でも小学生くらいになると、「ああお腹がすいたな」ということを自分でつかむことができ、伝えることができます。待つことができます。すぐに泣いて欲しがったりしません。これがこの時期の「もよおし」の意欲です。自転車に乗れるようになるということもそうです。

何かしたいことが「もよおし」として内面化され、そして待ち望んだことをやり遂げる、一貫した意欲です。


そして、思春期から青年期にかけて、意欲は「もよおし」が「慾」に仕立てられます。


これは、また質が違ってきて、感性豊かなの時期を生きる若者たちならではの「慾」です。意識に上がっては、またすぐに消えさる、または揺れ動く、「感情」に深く関わる時期だからこそ、そのような意欲の形、「慾」がしたてられていく。それは一人一人違った慾です。私はこれが好き、僕はこれが好きというその人ならではが生き始めます。


そして、ここからが、人間にしかない意欲の領域です。
動物にはここから先はないのです。


「慾」が「動機」に仕立てられていきます。

この「動機」は、人間の21歳から42歳までの時期(7年を3回)にあたります。ここだけ、21年もかかっているのは、なぜなのでしょうか?この時期は人間を「からだ」、「こころ」、「精神」という3つに分けてみたときの、「こころ」の領域を育む時期です。

この「こころ」の領域にそれまでの0歳から21歳の「からだの領域」の「本能」「もよおし」「慾」という意欲が取り入れられます。そのときに、意欲はどのように仕立てられるのか。

このときの「動機」という意欲は、こころ、つまり「わたし」がそれまでの自分の意欲をより詳しくつかむことで、より

「わたしというものが何者か」
「わたしのわたしならではのところは何か」
「自分が為そうとしていることはなんなのか」

という本質的な自分自身が見えてくることだと思います。
それは、それまでの意欲がこころの領域に取り込まれ、「考える」ことを通して「動機」へと高まるのです。


「動機」は「考える」ということを通して掴まれる意欲です。まさに、「考える」ことができるのが、人間と動物の大きな違いです。


ここが、人のなりたちの中で意欲の質が人間ならではの意味を持つところかもしれません。



続く。

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