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カタチある幸せを、見て笑って泣ける幸せ


同僚の結婚式にお呼ばれした。彼女は私の娘といってもいい年齢、だけど職場で一番仲良くさせてもらっている。私のどこがどう、そんなに彼女にハマったのかわからないけれど、私のほうは若い人と話せて、恋の悩みを聞いたり、家族の面白い話で笑い合えるのは楽しい。そんな彼女が、結婚を決め、その結婚披露宴に呼んでいただいた。

私の年齢では友人の結婚式に呼ばれるというのは多分もうない。数年前に、うちの次女の同級生の結婚式に呼ばれたことがあって、身内以外の結婚式に呼ばれるのもなかなかないことだなと思っていた。なので、今回呼んでいただけたのは本当に嬉しかった。

彼女の家族は仲良しだ。お母様と彼女はまるで姉妹のよう(見た目も)に何処に行くのも一緒。どちらかがいないと、例えばいつも行くお店で「あれ?今日は娘さんは?」「あれ?お母さんは?」と言われてしまうくらいに、だ。お父さんは無口で包容力のある大きな存在で、弟さんは大人になった今でも家族の最年少として皆から可愛いがられている。
家族が仲良しという点は我が家と同じ、だから彼女と話すと良いことも悪いことも「わかるぅ〜」と言ってしまうことが多い。その度に“うちだけじゃなかった”とホッとしたり、彼女より彼女のお母様の気持ちは、より理解できる。

そんな関係なので、彼女にとっての私は“第2の母”ということらしい。正直私は同等の友人だと思っていたので、“第2の母”と言われ「そっか、そりゃこれだけ年齢が離れてるんだもの、友達じゃなくて母だよね」と自分を納得させていた。もちろんそれは言葉で私のことを表現するのに一番わかりやすい単語なわけで、普段から母扱いされているわけではない。彼女は家でも彼女のお母様と友達のような姉妹のような関係であるのと同様に、私のこともそんなふうに大事に思ってくれているのだと分かっている。

今回の披露宴に出席して、私はもはや自分でも納得できるほどに“第2の母”だった。オープニングのムービーの時点で私は泣いていた。私の知らない小さい頃の彼女、その彼女がだんだん大きくなって沢山の友人に囲まれてその中で一際キラキラ笑っている。そして旦那様との出会い‥
彼女のこれまでの歩みをたった何枚かの数えるほどの写真で紹介する、よくあるムービー。私はそれを見て「大きくなったね、幸せにね。」と泣いていた。それはもはや母親の感情だった。

披露宴は堅苦しくないとてもアットホームな雰囲気で、新郎新婦が自由に会場を歩き周り、普段通りに招待客と会話をする。彼女はいつも以上に明るく元気だった。彼女の明るさは周囲まで明るくする。「もうっ、新婦、喋りすぎだから〜」と思わず言ってしまうほど自然体だった。いやもしかするとあれは逆に照れ隠しだったのかも知れない。畏まった自分に耐えられずいつも以上にはしゃいでしまったのかも知れない。

私の席はというと、私と同じ職場の上司や、彼女の学生時代の恩師の方とご一緒だった。皆が口にしていたのは、今日の披露宴の温かい雰囲気は彼女そのもの、周囲の人を大切にしてきた彼女の人柄そのものだってこと。私も心からそう思った。
実は当日の朝、彼女とLINEでやり取りをしていた。数日前から招待客の中で家族(お子さん)や本人がインフルエンザに罹り披露宴に行けなくなったという連絡が何件もあったと聞いていて披露宴前日にもキャンセルの連絡が入ったらしいのだ。今年はインフルエンザ警報が出るほどに流行しているのでこれは仕方ないことなのだけど、本人も招待されたほうも残念だろう。そう思っていた。

お天気は良さそうですが、寒そうなので暖かくしてきてくださいー✨
私は昨日もキャンセルがでてがびーん😭ってなってましたが、なんと減った分全員ピンチヒッターで新たなメンバーが参加になり、なんだか賑やかな会になりそうです笑お騒がせしますがよろしくお願いします♡

えっ、すごくない?当日なのか前日なのか、どういう経緯でかわからないけど、結婚披露宴に急に誘われて「行きたいっ」ていう人が何人もいた、ということだ。何その、ノリの良さ。何その、フットワークの軽さ。何その、愛され方!無駄とわかっていて自分に置き換えてみたりする。呼ぶほうでも呼ばれるほうでも、キャンセル分がピンチヒッターで埋まる状況を全く想像出来ない。つまりは、それが彼女なのだ。


今回の披露宴にはおまけが付いていた。披露宴は県一番の観光地で行われ、会場近くの川は普段から観光渡し舟が行き来している。たまに運良く花嫁さんを乗せた舟に行き交うことがあるが、今回は彼女がその舟に乗って川を流れるという。招待客だけでなくたまたま居合わせた観光客の方たちにも見て、祝ってもらえるのだった。披露宴が終わり川まで急ぎ足で移動した先には、披露宴には呼ばれなかった彼女のご実家のご近所さんが沢山待っていた。皆が笑顔で川を流れる2人に手を振る。2人が笑顔で手を振りかえす。これが幸せじゃなくて何だ?

幸せのお裾分け、もらっちゃった!

その日披露宴に携わった人、川の近くにいた人、知っている人も知らない人もきっと皆そう感じたはず。

“幸せのお裾分け”は、分けてもらうほうが勝手にいただいているのだ。「どうぞ」と差し出されたわけではないけど幸せな姿を見ては、見ているだけで自分たちまで幸せを感じているのだ。幸せにはカタチがある。幸せは目に見える。
私も誰かに幸せをお裾分け出来る生き方をしたい。



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