『当事者』を聴いたよ〜🎧
最近とてもハマっている曲のひとつ。
EGOISTの『当事者』が素晴らしすぎる。
この楽曲は『劇場版 PSYCHO-PASS サイコパス PROVIDENCE』というアニメ映画の主題歌だった曲なのだけれど、今回は『PSYCHO-PASS』の物語には触れず楽曲の歌詞について好きな部分を書き連ねていきたいと思う。
これを書くに当たって曲のタイトルである〝当事者〟は物事に直接関わりがある人、といった意味があるけれど、この言葉の意味が直接的に使われるのは歌詞の後半部分になる。
それならばどういう経緯でこの歌の人物は〝当事者〟になったのか。
以下、歌詞全文。
僕が一番好きな歌詞は
という部分だ。
人は犠牲の上に成り立っていて、一つを守れば、もう一つは犠牲となる。
両方助けるということは、両方助からないかもしれないし、更なる犠牲を生むかもしれないという危険性も孕んでいる。
優しさは弱さなのか。
違うとは言い切れない。
優しさは〝甘え〟だと捉えられかねないからだ。
人に優しさを向ける事ができるということは〝強さ〟だと思いたいが、それはまた大衆がそう思うかは別だ。
優しさに見せた悪意の方が人は信じやすい。
自分が一番欲しい言葉をくれるからだ。
そう言う意味ではやはり優しさというのは〝弱さ〟を持っている。
この曲の主人公が考える〝優しさという正義〟は、誰かの犠牲の上にあってはいけない。
「私は誰を犠牲に生きていい?」
リアルで生々しい叫びだ。
〝彼ら〟という言葉を〝大衆〟と置き換える。
そうすると曲の主人公は〝大衆の正義〟を守るもの、ということになる。
そこは『PSYCHO-PASS』というシリーズを見れば分かりやすいのだけど、先ほども書いた通り物語について今回は言及しない。
〝民衆〟はいくらこちらが手を差し伸べようとも、新しい塊になって、主人公を糾弾。
正義を実行しても、新しい正義を求められる。
どちらがより良い正義なのかという考えはナンセンスだ。
正義は、人の常識は、人それぞれに存在している。
最後は耐えきれず、引き金を引く。
誰かを犠牲にして自分が生きる。
自分が生きることが誰かの正義にになる。
〝闇堕ち〟っぽい展開になるけれど、これは単純にダークサイドに堕ちたということではなくて、正義を行使するための犠牲。
自分の手を汚し〝当事者〟になることで〝大衆〟に正義とは何かを突きつける。
それが明らかになるのはまだ先の未来だとしても。
すごい。
すごく〝これ〟が多い。
いやぁ〜初めて歌詞の分析みたいなことしてみたけど、馬鹿みたいに難しいな。
もうひとつ難しかった理由は、やはりこの楽曲は『PSYCHO-PASS』というアニメ作品のために作られてるというところだろう。
だからアニメの説明をしないと、どうも抽象的な部分が目立ってしまったけれど。
でもやっぱりアニメ抜きで歌詞を見てみても十二分にいい歌詞だ。
どこか自分に、世の中に置き換えてみたくなってしまう。
優しさや、正義、犠牲、罵声と絶叫。
単語の一つ一つを身の回りで置き換える。
SNSなどの無尽蔵に人が集約されている場所を見ていると、それらはどれも痛々しく、人と人で傷つけあっているように見える。
この歌は映画の主題歌でもあり、自分たちがその当事者になり得ることもあるという警告なのではないかと。
そんなふうに思えて止まない。
今日はこの辺で。
歌詞の分析レビューももっと頑張ります🙇♂️
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