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大枠だけ掴むガンダムSEEDシリーズ【SEED Freedom】

先日、初見でガンダムSEEDシリーズを見終わった。(フリーダムは私の地域では放映しないのであらすじだけ)


ガンダムシリーズではもっとも売れたシリーズとなった。

見終わった感想としては、SEEDは素晴らしいがDESTINYは最悪だった。大体のファンがそうだと思う。

よくみんな20年も完結編を待てたなと。

今回はSEEDとDESTINYの大枠だけ掴める話をしたいと思う。

細かいキャラの話はしない。

ガンダムSEEDあらすじ

C.E.71年、工学を専攻するコーディネイターの少年キラ・ヤマトは、中立国オーブのコロニー・ヘリオポリスで平和に暮らしていた。しかし、このコロニー内では連合軍による5機のMSの開発と新造戦艦の建造が極秘裏に行われており、その情報を得たザフトのクルーゼ隊は独断で奪取作戦を開始する。

まずこの作品は宇宙世紀ではない。

あの流れからは切り離して考えなければならない。その割にはファーストガンダムやZガンダムを参考にしている。

コズミックイラという世紀で、遺伝子を触ったコーディネーターと触ってないナチュラルに分かれている。

そこで、農業プラント「ユニウスセブン」に核兵器が撃たれてザフト軍と地球連合軍での争いが始まった。

主人公キラの住んでいたコロニーは、中立であったのに裏ではMS開発を行なっておりその奪取のためにザフトのクルーゼ隊が押し寄せる。

かつての友人、アスランと再会してお互いコーディネーターでありながら環境の違いで争う。

ファーストガンダムとの類似

MSの奪取する中で、少年がガンダムに乗り込み戦う流れはファーストのアムロそのものだ。

向こうは友人と争うのではなく、避難してきた子どもたちのためにやむなく戦争に巻き込まれていく。

両者とも望んで戦ったわけではなく、戦う力があったから戦っただけである。

フレイは悪女か?

ガンダムSEEDは、シリーズ随一の悪女と呼ばれるフレイアルスターがいる。

父親がブルーコスモスの一員なために、コーディネイターに強い偏見を持っている。

キラがコーディネーターと知ると意味嫌い、ラクスには強く当たる。一周まわった復讐としてキラと恋愛関係にはなるが、歪んでいく。

クルーゼに拉致されて、秘書のようなポジションになり彼の道具として死んでいく。

後半は改心していたが、感情的に生きるものや親の影響を受けやすいものの典型だった。

原理主義はよくない

後半に出てくるブルーコスモス。

彼らは、「青き清浄なる世界のために」というナチュラル原理主義を題目に、反プラント、反コーディネイターを標榜する過激な政治結社にして市民団体。

であり、ナチュラルとコーディネーターの争いを生んだきっかけとされる。

典型的な原理主義者たちだ。

原理主義とは、

ある信条や教義を絶対視し、そこからの逸脱を許さない思想的姿勢

であり、すなわちナチュラル以外は例外として認めないということだ。

原理主義が良くないことを示す一例であり、それを理解したキラやアスランたちは昨日の敵とも和解する勇気を持った。

ガンダムSEED総評

後半から誰がなんのために戦っているのか分からなくなるが、キャラたちもそうであり混乱させるのがテーマだと言われてる。

誰と戦うべきなのか、なぜ戦うべきなのか。


上の人間の発言は正しいのか、何を持って正しいとするのか。

そこを現実味のない少年たちに考えさせた。

ガンダムSEED DESTINY

コズミック・イラ(C.E.)71年6月15日、大西洋連邦を主力とする地球連合軍とオーブ連合首長国によるオノゴロ島の攻防戦の中、シン・アスカはたった1発の砲弾で家族を失った。妹マユが落とした携帯電話を握り締め、シンは自らの非力さに絶望し、以降はトラウマに苦しみ続けることになる。

ディスティニーは総じてひどいので、これから見る人は総集編でいいと思う。

どうやら制作に時間がかけられなかったらしく、脚本がむちゃになったとか。

キラ、アスラン、シンの3人主人公は難しい

ディスティニーから主人公を3人にする。

基本的にはオーブで家族を失ったシンを真ん中に置いて描かれる。

そこに戦いを止めるために復帰するアスランが入り、彼と衝突し続ける。

隠居生活を行なっていたキラやラクス、マリューらもオーブを守るために戦いを始める。

基本的にはアスランやキラに影響を受けたシンの成長を描きたかったはず。しかし、実際は反発しづけるシンばかり見せられて困った。

結局のところ、最強であるキラが全てを止めてエピローグで和解する。

家族のことやアスランへの怒りがあったとしても、50話も成長しないのはどうかと思った。

ムゥ生存は寒い

SEEDで完璧な死に様を描いたムゥさんが生きていたのは、寒かった。

マリューの元に帰れなかった悲しみが、後の彼らが戦いを避ける理由だったのに。

それもわりかしスムーズに仲間に復帰する。

死んだはずのキャラが理由もなく生き返るのは冷めてしまう。

ディスティニープランとは何だったのか。

ラストで大暴れしたデュランダル議長。

彼が提唱したディスティニープランは謎が多い。このプランとは、

遺伝子によって人の役割を決めてしまえば自身のような悲しみを背負う人間もいなくなり、人間の欲望も統制されて争いの火種もなくなるだろう

というものだ。すなわちコーディネーターだ、ナチュラルだと争うのではなく各々の遺伝子に合った生き方をしなさいと。

一見これは、争いをなすすいい手に見えるが実際のところは人類から自由を奪うことになる。

だから、続編はディスティニー(運命)なのだと気づいた。

運命に従って生きなくてはいけないのかと。

後半はデュランダルと理念と、キラたちの理念の争いになる。最終的に理念のないキラたちが勝利する。

ロゴスとデュランダルがいなくなったことで、戦争で利益を得る集団がいなくなったのでとりあえず終戦だ。

フリーダムは必要な物語か?

最後に完結編であるフリーダムについて。

これは映画見れてないので、あらすじだけ読んだ。

簡単に言うと、デュランダルの意志を継ぐ第三勢力がラクスを誘拐して取り返す話だ。

前提がアニメ98話あるため、劇場版2時間の弱さはあるが必要な話かは分からない。

しかし、ディスティニーが明らかに続編ありそうな終わり方だったからとりあえずのハッピーエンドを用意したかったのだろう。

彼らなりの争いからの脱却や、幸せなどを示さないと終われなかったのだ。

以上でガンダムSEEDシリーズの大枠だけ掴む話は終わりです。

キャラに重点置いて見たい人には見どころもっとあるから、全て見てほしい。

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