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抒情派フォークの極北「とんぼちゃん」

とんぼちゃんの歩み

とんぼちゃんは、秋田県能代市の同じ高校出身の伊藤豊昇と市川善光によって結成された抒情派フォーク・デュオ。同じ1974年にレコードデビューしたふきのとうと合同でデビューコンサートを開催しています。グループ名は、1977年、二人の成人を機に「とんぼ」に改名。

その後、シングル13枚、アルバム12枚を出しましたが、市川善光の声が変わってしまい、以前のようにきれいな声で歌えなくなったことを表向きの理由として1982年に解散。

昔からの熱心なファンの再結成コールを受けて2009年に再結成コンサート寸前まで行きましたが、伊藤側の事情により急遽中止になってしまいました。

市川善光は、最近になって音楽活動を再開。精力的にライブを行っていて、その模様がユーチューブにいくつかアップされています。昔の懐かしい曲を歌ってくれるのは嬉しいのですが、市川の声は若い頃とは全く別人のような変わり様ようで、その上、音程も安定せず高音も出ないため、聴いていて辛いものがあるのが残念です。

伊藤豊昇のほうは、10年近く前のライブ映像がユーチューブにアップされていますが、その後の消息は不明。

初期は比較的好調な滑り出しでコンサート会場も満席になるなど熱心なファンが多かったものの、音楽的流行や業界を取り巻く状況の変化も影響して次第に先細りになって解散してしまった印象があるのは否めません。(つまるところ、あまり売れなかった。)

しかし、最近のユーチューブ動画再生回数やコメント数を見るとなかなか侮れない数で、もしかしたら今の方が現役当時より人気があるのかもしれません。勿論、昔からのファンが青春時代を懐かしんで何度も再生しているケースが圧倒的に多いとは思いますが。                  彼らを知らない今の若い人がユーチューブを観て、新しいファンになってくれたら嬉しいで事すね。

とんぼちゃんの歌唱スタイルと楽曲

とんぼちゃんの特色は、切なくて思わず涙がこぼれ落ちそうになる抒情的な歌詞と流れるような美しいメロディライン、そして、二人の息の合ったハーモニー。特に高音領域での二人のハモりが素晴らしいです。                                 

全楽曲の内約半数が二人のオリジナル曲。二人の合作曲は主に作詞を伊藤豊昇、作曲を市川善光が担当しており、歌唱のほうは基本的に市川善光のリードボーカルに伊藤豊昇がハーモニーをつけるというスタイルをとっていました。二人で主旋律を歌う場合には、主に低音領域を伊藤、高音領域を市川が受け持っています。

市川は作曲だけですが、伊藤は作曲の才能もあり、伊藤一人で作った曲もかなりあり、その場合は伊藤豊昇がリードボーカルをとっています。名曲のほとんどはマイナー調で、抒情的な歌詞に哀愁を帯びた美しいメロディという組み合わせです。

歌詞のモチーフは男女関係、とりわけ別離や失恋の歌が最も多く、それ以外の曲は数えるほど。男性グループですが、女性側から女心を歌った曲もかなりあります。

主に作詞を担当している伊藤豊昇が紡ぎ出す詩は、抒情的な歌詞の中に比喩、間接表現、対比、擬人法などの表現技法を効果的かつ巧みに散りばめる事で失恋の痛みや悲恋の悲しみを美しく歌い上げています。

多分、伊藤豊昇の趣味と思われますがアルバート・ハモンドやギルバート・オサリバンのカバーも歌っています。全曲ビーチボーイズの日本語カバーアルバムを出しているのには驚かされます。

現役当時のとんぼちゃんへの評価

当時を振り返ってみると、とんぼちゃんがデビューした1970年代中頃は1960年代後半の、学生たちによる70年安保反対闘争を中心にした「政治の季節」の余韻がまだ色濃く残っていた時代。私の周囲でもとんぼちゃんの曲は、「暗くて女々しい。」「聴いていて気が滅入る。」「社会性ゼロで軟弱。」「恋と失恋の歌ばっかり。他に歌うことはないのか?」等と悪評芬々で評価する者は稀でした。

周囲の多数派はとんぼちゃんの曲は「大嫌い」、対して少数派は「大好き」と好悪の落差が非常に激しかったグループですが、マイナー調大好き人間の私は「大好き派」でどっぷりはまった口でした。

とんぼちゃんのライブ映像について

あっという間に引退してしまった森田童子、コンサートのリハーサル中に急死してしまった村下孝蔵、そして、今回取り上げたとんぼちゃんは、今でも現役時代、ライブコンサートに行かなかったことを後悔している歌手たちです。

とんぼちゃんは昼間の情報番組にゲストとしては出演したことはあったらしいですが、ヒット曲には恵まれず全国ネットの夜のべストテン番組などに呼ばれることはなかったため、今、現役当時のライブ映像を観る事ができないのが本当に残念です。

ただし、私は一度だけローカル局「テレビ神奈川」(現TVK)の伝説的音楽番組「ヤング・インパルス」(1972~76)で、ライブ演奏する二人を観たことがあります。その時は「遠い悲しみ」を歌っていて、市川善光の弾くマンドリンがとても印象的でした。

この時のビデオテープは 、残っていないものでしょうか。

当時は番組収録用2インチビデオテープが非常に高価だったため、放映が終わると次の番組収録のためにテープを上書してしまう事が多かった時代でした。しかし、他局と違って、昔の音楽番組の貴重なライブ映像を沢山保存しているTVKのことですから、もしかしたら、倉庫のどこかに眠っているかもしれませんね。

とんぼちゃん名曲集+コメント

意外に前置きが長くなりました。ここからは私基準のとんぼちゃんの名曲を聴きながら、コメントと分析を加えて行きます。「遅すぎたラブソング」までは、シングル曲を発売順に並べてあります。それ以降は、シングル盤のB面曲とアルバム収録曲です。

「貝殻の秘密」 (1974)

とんぼちゃんのデビュー曲。                     最近のライブ映像で市川善光が「貝殻の秘密ですよ~。貝殻って何なんですかね~。」と自虐ネタをかましていましたが、確かに歌詞をみても語り手(視点人物)の「秘密」と比喩しての「貝殻」との関係はごく薄く、無理やり結び付けた印象が強いです。 
                         
このデビュー曲はシンガーソングライター実川俊晴の作品で、多分レコード会社に歌わせられた感じの曲だったのでしょう。「浮気はしても別れないよ」という失恋しない歌は他には見当たりませんから。

「ひと足遅れの春」(1975) ※作曲 市川善光

2枚目のシングルで最大のヒット曲。と、言っても小ぶりのスマッシュヒット程度でしたが。それでもラジオには時々かかっていたので、とんぼちゃんの名前が全国に知られるようになった記念すべき曲ではあります。    この後、とんぼちゃんの曲の定番モチーフとなる「失恋ソング」がシングル2曲目にして、早くも登場しています。                終盤、サビの反復の上に別のメロディを重ねて次第に入れ替わって行く手法は、当時としては非常に斬新に感じられました。

「遠い悲しみ」(1975) ※作詞 伊藤豊昇・作曲 市川善光

4枚目のシングル。シングルの後にアルバムバージョンが続けて再生されるので、違いがよく分かります。アルバムバージョンにはシングルのような凝ったアレンジは施されておらず、ハモりもないシンプルな構成になっています。後から出したシングルバージョンは、歌詞をかなり変えてありますね。このシングル盤も「ひと足遅れの春」に続いて小ヒットしました。                
美しいハーモニーと「流れるようなメロディライン」、そして、恋人との悲しい別れ。とんぼちゃんの特色がよく表れている名曲です。イントロと終盤の多重輪唱も「ひと足遅れの春」と同様、当時としては斬新な手法でした。

TVKの歌番組「ヤングインパルス」で一度だけとんぼちゃんのライブを観たことがありますが、その時歌っていたのが「遠い悲しみ」。市川善光の弾くマンドリンが印象的でした。TVKには昔のライブ映像が消されずに沢山残されているそうですが、もし、とんぼちゃんのライブ映像が残っているのなら何かの機会にぜひ放送して欲しいものです。

「雨の一日」(1976) ※作曲 市川善光

6枚目のシングル。                         女性の視点から、別れの不安と焦燥感に揺れる女心の機微が繊細に表現されています。

「きみまち坂」(1978) ※作詞 伊藤豊昇・作曲 市川善光

8枚目のシングル。                         こちらも女性視点から失恋の痛みを歌っています。サビとハーモニーが素晴らしすぎて、聴いている内に涙がこぼれそうになりますね。聴き手の感情への訴求力が尋常ではありません。

「冬越え間近」 (1978)

9枚目のシングル。                         伊藤・市川コンビの作品ではないのですが、なかなか含蓄のある曲だと思うので少し深読みしてみましょう。                     
割合陽気なエレキギターリフから始まる明るくてリズミカル、アクセントの効いた軽快な曲調とは裏腹に、歌詞のほうは、冬の終わりと共に別々の道に踏み出していく男女の苦い別れが描かれています。          

「冬越え間近」という題名には、雪国の人にとっては待ち遠しいはずの温かな春が、二人にとっては別れの時でもあるという対比的意味あいが内包されています。同時にこの歌の「冬」が単なる季語ではなく、冷たく凍てつき互いへの愛もとうに枯れ果てた二人の不毛な関係を表しているという二重の比喩的表現になっている事にも感心させられます。
                 
更に「冬越え間近」の「間近」は「木枯らし」が吹きすさび「暖かな日」をなくしてしまった二人の生活に終止符を打ち、「絡みついた」しがらみを「振りほどき」断ち切って、それぞれが別々の人生に向かって歩みだす日がすぐそこまで来ている事の暗喩だと解釈できます。 
                                 「背を向けた二人」「飲みほす前に冷めていたんだ、二人のようなレモンティー」という比喩表現が、出会い自体が間違いだったと思えるほどに修復不能となってしまった二人の覚めた人間関係を見事に物語っていて心に残ります。      

「悲しい歌詞を悲しく歌う」のも悪くありませんが、とんぽちゃんには、「悲しい歌詞を明るく歌う」系の曲がいくつかあるのが面白いですね。                 
ところで、この曲のジャケット写真ですが、市川善光の左側で下を見ている人は沢田研二さんですか?

「朝(あした)」(1979) ※作詞作曲 伊藤豊昇

10枚目のシングル。                         とんぼちゃんとしては非常にアップテンポで激しい曲調の作品。     曲の中で「勝手にしろよ。どこへでも行け。」と呼び掛ける相手が男なのか女なのか不明なのも異色です。

「遅すぎたラブソング」(1980) ※作曲 伊藤豊昇

ストーリー性のある哀切な歌詞、緩急自在で流れるように美しいメロディとハーモニー、そして、ドラマチックなアレンジ、それぞれが相互に響き合って大きな相乗効果をあげています。ラストはサビのリフレインで終わるのが定番のパターンですが、あえてそれを避けて静かな会話でフェイドアウトするので、曲が終わった後まで余韻が残って素敵です。                       
歌詞は、会話形式によって男女の関係が過不足なく簡潔に表現されていて見事です。男側の自己中でご都合主義の身勝手さが次第に鼻につくようになる展開もなかなか辛辣で秀逸。まあ、私が女性の立場だったら、最初の台詞を聞いただけでも「私をこんな風に変えたのはお前だろうが。気が付かないのか、この能天気野郎!」と罵倒してやりたくなりますが(笑) 。         
個人的には「慕情」と並んでとんぼちゃんの最高傑作ではないかと思っているのですが、この曲がシングルになっていない事実もひとつの驚きではあります。ネームバリューは別にして、テーマが似ている竹内まりあの大ヒット曲「駅」と比べても作品自体は遜色のないレベルに達していると思えるのですが。レコード会社の営業方針とか、担当者に見る目がなかったとか、要するにそういう事なのでしょう。                    

歌唱のほうは男女別のパートに別れていて、私には男性パートを伊藤豊昇が、女性パートを市川善光が歌っているように聞こえますが、さて、どうでしよう。

折鶴」(1980) 

「遅すぎたラブソング」のB面曲ですが、A面として別途出してもおかしくないしっとりとした名曲です。「時の忘れ人」「時のめぐり人」というラストの歌詞が印象に残ります。                      この曲も最後のほうで、やはり失恋ソングであることがさりげなく示されます。

「心はぐれた日から」(1975)  ※作曲 市川善光

最初に聴いた時「あれ、どこかで聴いたような?」と思ったら、強く印象に残るイントロと間奏はモンティの「チャルダッシュ」(チャルダーシュ)なんですね。クラシックの名曲の一番おいしい部分を拝借してくるとは何ともちゃっかりしていますが、曲にしっかりマッチしているので許します。                              
「チャルダッシュ」は、ドラマ『のだめカンタービレ』でも使われていました。 

「チャルダッシュ」(バイオリン曲)


「慕情」(1980)  ※作曲 市川善光

とんぼちゃんの曲の中でも1、2を争う名曲。 

メロディ・編曲共に最高レベルに達していると思われるこの曲も「遅すぎたラブソング」と同様、シングル盤になっていないのは「何ともはや」と言う感じでため息しか出ません。多分レコード会社からは、売れ筋の曲ではないと見なされたのでしょうね。「いい曲だからって、売れるとは限らない」とか何とか。
                                  鉱山を舞台にした男女の悲恋物語が抒情的なメロディに乗せて美しく歌いあげられており、まさに抒情歌の極北とも言える傑作です。二人のハーモニーも素晴らしいですね。

ただ、歌詞全体を客観的に見渡してみると、辻褄が合わず矛盾を感じさせる箇所がいくつもあることに気付かされます。

例えば、           
1番で滝に身を投げるのは誰?                    絶望した末の後追い心中という事?                  本当に身を投げたの? それとも身を投げる程思いつめていた事の比喩表現? (「♬~二人この世で結ばれぬなら~♬」と仮定形になっていますね。)                               

2番で山を棄てたのは男の方?それとも女?              二人一緒に山を降りればいいのに、何で離れ離れになってしまったの? 「命を散らしたのか?」と疑問形になっているのはなぜ?        相手は生きているの?それとも一人で死んでしまったの?                 

3番で「あなたを待つ」のは誰なの?                 相手は死んではいなかったの?                    視点は一人称なの?それとも三人称?(「あなた」という二人称が出て来るので、一人称の可能性が高いとは思いますが。) 
                                  そもそもこの歌の語り手(視点人物)は誰なの? 女の方?男の方?    それとも彼らを知る第三者? 
                                  私も最初は女性の方が視点人物だと思っていましたが、このように疑問が次々と湧いてきて段々確信が持てなくなってきました。         1番の最後を聴くと後追い心中の歌かとも思いましたが、3番まで聴いて行くとそういう事でもなさそうです。                   

そもそも1番~3番相互のの時間軸がよく分からないので、これ以上解釈のしようがありません。

考えすぎると頭がこんがらがって訳が分からなくなるので、まあ、整合性のある写実的な物語ではなく、一種の「幻想譚」と割り切って聴けばよいのかもしれませんね。

『北景色』(1980)  ※作曲 伊藤豊昇・市川善光

この曲も「流れるように美しいメロディライン」というとんぼちゃんの特色が遺憾なく発揮されています。主旋律とサビとの区別がつかないほど展開がスムースなのが、ある意味すごいです。主旋律→第1のサビ→第2のサビという構成になっているからなのでしょうね。

主旋律を伊藤豊昇が歌っていることは分かりますが、2番目ののサビはどちらが歌っているのでしょう?高音領域も伊藤豊昇のように聞こえるのですが。

「冬ざれの舗道」

雪国秋田県の出身らしく冬の情景や凍てつく寒さを散りばめた曲も多いですね。失恋の痛みや寂しさを「灯消えた」「冬ざれ」という歌詞でさりげなく間接表現しているのはさすがです。寒い冬の夜に一人静かに聞きたくなる名曲です。

聴く度に心にしみ入り、涙を誘う失恋の歌をもう1曲。

「19の頃」(1975)  ※作詞作曲 伊藤豊昇

歌詞からはかなう事のない儚い望みと知りつつも、別れた恋人の訪れを密かに待ち続ける女性の切ない思いが込められているように感じられ、聴く度に泣けてきて困る曲なのです。                          

絵夢「19の頃」

絵夢によるこのカバーは、アレンジが派手過ぎて歌詞と合っていないように思うのですが。

ちょいと脱線して、絵夢と言えばこの曲ですね。

絵夢「遠くへ…


「途切れた手紙」(1977)  ※作詞作曲 伊藤豊昇

「冬ざれの舗道」と同系列のしっとりとした定番失恋ソング。     リードボーカルは作者の伊藤豊昇で、市川善光が高音部のハーモニーを付けています。「さよなら、あの日の夢」というフレーズが印象に残ります。


「楽しい季節のあとで」(1980)    ※作詞作曲 伊藤豊昇

「バブル」のように渦中ではそれとは気づかず、なくした後、初めてその意味や価値に気付くというパターンですね。                                                     忍び寄る別れの気配を「夏の影に秋がひっそりいるのに」というフレーズで間接表現していますが、とんぼちゃんは本当に比喩の使い方が上手です。 伊藤豊昇は市川善光より音程が低いですが、高音部もけっこういけますね。

「なぜ」(1975)     ※作詞 伊藤豊昇・作曲 市川善光

「冬越え間近」と同系列のリズムソングですが、こちらは女心を歌っています。片思いに揺れる女性の心理をうまく表現していて、とんぼちゃんに女性ファンが多いのも頷けます。

「月日はいつか君を」(1976)  ※作曲 市川善光

こちらも「悲しい歌詞を明るく歌う」系の曲で、軽快なリズムとメロディに乗せて歌われる失恋ソング。悲しい歌詞が明るめのメロディやリズムと対比される事で、辛い失恋の情景がより鮮明に浮かび上がってきます。サビのメロディが素敵です

「しあわせ色」(1976)   ※作詞 伊藤豊昇・作曲 市川善光

「雨の一日」のB面曲。                       この曲も「冬越え間近」と同様、題名と歌詞の内容が対比になっていますね。B面やアルバムにこのレベルの曲がごろごろ転がっているのが、ある意味すごいです。ビートルズみたい?←褒めすぎです。

「ひなげし」(1976) ※作曲 市川善光

5枚目のシングル「奥入瀬川」のB面曲。                とんぼちゃんにしてはかなりアップテンポなリズムとメロディに乗せて、亡くなった妻を偲んでいます。                        
明るい春の陽光の中で華麗に舞い散る桜吹雪や花々と対比する形で愛する人を失った深い喪失感が強調されていますね。「月日はいつか君を」と同じ手法です。             

いい曲なのに何だか息せき切って駆け足で歌っているような感じでゆとりがなく、情感に浸るだけの間や余韻があまり感じられないのはちょっと残念な気がしないでもないですが。

「夕陽」(1976)    ※作詞 伊藤豊昇・作曲 市川善光

初めて聴いた時、冒頭の歌詞にほんの少しだけ社会性が感じられたので、「あらら、珍しいことがあるものだ。」と思っていたら、途中からやっぱり失恋ソングのほうに行ってしまうんですよねえ。            とんぼちゃんは、本当に失恋ものが大好きなのですね。事務所やレコード会社の営業方針もあるのでしょうが、それだけではこれほど続かないでしょうから。

「汽笛」(1977)   ※作曲 市川善光

結局、最後の最後まで失恋ソングでしたね。(笑)            

最後まで読まれた方、本当にお疲れ様でした。

とんぼちゃんの歌を計22曲リンクしましたが、もし、あなたのお好きな曲がリンクされていなかったらごめんなさい。               何しろ、当方、マイナー調の曲しか聴かない(旗本)偏屈男ですので。                                 


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