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1960年代~80年代の泣ける名曲100選①スティクス、シャルル・アズナブール、AAA、ジョージ・ハリスン、橋幸夫他

ロックンロール、ロック、ブルース、ブルースロック、ジャズ、歌謡曲、フォーク、カバーポップス、GS、ニューミュージック、JーPOP、洋楽ポップス、ディスコ、イージーリスニング、映画音楽など数多ある音楽ジャンルの中から洋邦問わず泣ける名曲を集め、コメント等も加えつつ聴いて行こうというシリーズです。

「ブルースロック名曲集①」にも少し書いたのですが、泣ける名曲という性格上、リンクするのは哀愁を帯びたマイナー調の楽曲ばかりで、明るくて陽気な長調の曲は皆無ですのでごあらかじめ承知おきの程を。

シリーズ名の通り1960年代から80年代の曲がが中心になりますが、当方の年齢の関係からリアルタイムでよく聴いていた年代の曲が多くなると言う意味で、その守備範囲からはずれる年代の曲も当然ながら入ってきます。

選曲の方はあくまで当方の個人的基準によって選んでいるため、人によっては泣ける曲だと思って聴いてみたら全然泣けなかったというケースも多発するかと。感性の違いということで、そのあたりはご容赦ください。    

「泣く」は物理的な現象ですが、それを引き起こすのがある種の「感動」。「感性」という心の琴線に触れなければその感動も起きない訳ですが、人間である以上感性はそれこそ十人十色。そこには、音楽を聴いて「いい気持ちになる」という要素も当然含まれます。ですので、「泣ける曲」=悲しい曲という訳でもないのです。

リンク順はテキトーなので、ロックの次に突然歌謡曲が来たり、その次がディスコだったりするので、ちょっと面食らわれる方もいらっしゃるかもしれません。

曲名にふってある数字は整理のために付けたもので、泣ける曲のランキングではありません。

※視聴する際、画像の右下隅にある四角いアイコンをクリックすると最大画面になり、迫力のある映像を楽しめます。

001 スティクス「ボート・オン・ザ・リバー」

「ミスター・ロボット」がヒットしたため日本ではプログレ・バンドとして認知されているスティクスですが、電気楽器を一切使っていない「ボート・オン・ザ・リバー」は、そんなことは微塵も感じさせないフォーク調の美しいバラードです。                           バンドの2枚看板はデニス・デ・ヤングと後から加入し、アイドル歌手的人気のあったトミー・ショウ。二人は曲作りの才能にも恵まれており、最大のヒット曲「Babe」(全米1位)を書いたのがデニス。これに対して、トミーは「コーナーストーン」を全米2位に送り込んでいます。             
「ボート・オン・ザ・リバー」はトミー・ショウの先品で彼がメイン・ボーカル&マンドリンを、デニス・デ・ヤングはアコーディオンとボーカルを担当しています。本国ではシングル化されていませんが日本で出したシングルはヒットし、「Babe」よりもこちらの方が人気が高いと思います。マイナー調のメロディは勿論ですが、マンドリンとアコーディオンの哀愁を帯びた音色が何とも言えない抒情性を醸し出している名曲です。

002 シャルル・アズナブール「イザベル」

本国では鳴かず飛ばずだったのに日本だけで大ヒットという曲は沢山ありますが、「イザベル」もそのひとつ。アズナブール本人の作詞・作曲ですが、本国フランスではほとんど話題にならず日本だけで大ヒット。今でもシャンソンの名曲と言われています。                                

歌は最後の方だけで、曲の大部分を占めるのはシャルル・アズナブールが語るイザベルという女性に捧げる愛の詩(うた)という珍しい形式の曲。まあ、歌詞の内容はかなり片思いっぽい感じですが。ダリダとアラン・ドロンが共演して日本でも大ヒットした「あまい囁き」やケネディの大統領就任演説を歌にした「自由の讃歌(Let Us Begin Beguine)」もこの形式を半分取り入れた名曲でした。                             

バックのストリングスの編曲は、あのポール・モーリア。メロディが本当に美しくイージーリスニング曲として別に発売してほしいくらいです。   アズナブールの代表曲は、「イザベル」と同じ1964年に発表した「帰り来ぬ青春」。世界中で100回以上カバーされ、日本でもザ・ピーナッツ(訳詞なかにし礼)をはじめ、多くの歌手がカバーしています。          

シャルル・アズナブールは映画俳優としての顔もあり、フランソワ・トリュフォーのサスペンス映画「ピアニストを撃て」に主演した他、ジャン・コクトーの幻想映画「オルフェの遺言」、シルヴィ・ヴァルタン主演の「アイドルを探せ」などの出演作があります。

003 笑福亭鶴光「イザベル〜関西篇~」

とってもお上品な「イザベル」の関西弁パロディソング。         健全な青少年の皆様は、近寄らないことをお勧めします。                  これを聴くと、大阪が自民党の悪い所ばかりを集めたようなゲテモノ猛毒政党「維新」にコロリと洗脳され、支配されてしまうのが何となく分かるような気が。妙な納得感があるのが不思議です。

004   AAA「唇からロマンチカ」 

「唇からロマンチカ」は2007年の発売ですから、冒頭に書いたように完全に守備範囲外。1990年代に入ったあたりからJーPOPの音楽的変化に感性が付いていけなくなったのか、息子がファンでよくかけていた小室哲哉とglobe(グローブ)の一連のヒット曲などどれを聴いてもみんな同じように聞こえて、正直なところどこがいいのかさっぱり分かりませんでした。                            

2000年代にリズム中心の小室哲哉が飽きられて失速しても状況は変わらない中にあってこの「唇からロマンチカ」だけは別格と言うか例外中の例外。この曲も息子がかけていたのを何気なく聴いていたのですが、一度聴いただけでそのメロディとリズムにすっかり引き付けられました。                            

一部の演歌を除き、年配の日本人が好んで来た正統派マイナー調楽曲がほぼ絶滅した中にあって(これは世界的傾向でもあります)、「唇からロマンチカ」は珍しくマイナー調を前面に出し、メジャーに転調することなく最後までそれを押し通した近年では珍しい曲でした。                     ある意味先祖返りしたような異端的な曲だったと思うのです。なぜ異端かと言うとAAAの数多いシングル曲の中で琴線に触れたのはこの1曲だけで、他の曲はどれを聴いてもやっぱりピンとこなかったからです。                              

もっとも、マイナー調が廃れたと思わせるのは表面だけで、最近のJーPOPでもよく聴いてみると意外にマイナー調の曲も残っており、リズムとアレンジでそうとは感じさせないようにしているだけなのかなという気もしますが。   メロディの美しさより歌詞やリズムが重視されるのが時代の趨勢なので無いものねだりだとは思いつつも、「唇からロマンチカ」のようにマイナー調で美しいメロディの曲もたまには出してほしいものです。                 

そういえば中心メンバーの西島隆弘さん、2016年の「いつ恋」以来、テレビドラマでお見かけしませんが、ドラマ出演は止めてしまったのでしょうか。


005 ジュリー・ロンドン「クライ・ミー・ア・リバー」

1955年にジュリー・ロンドンが歌って大ヒットしたスタンダード・ナンバー。メロディは抒情的ですが、歌詞の方はなかなか辛辣ですね。

006 ジョー・コッカー「クライ・ミー・ア・リバー」

同じ曲をブルースロックにアレンジするとこうなります。        ブルースにしてはとても賑やかで、歌詞が違っていたら誰も同じ曲だとは思わないでしょうね。                                聴きどころは、ジョー・コッカーの魂の叫びとそれに呼応するバックコーラス、そして素晴らしい間奏。いつもの山高帽を被ったレオン・ラッセルがピアノで参加しています。                             ちらっと映るバックのライトショーが懐かしい。

007 サム・ブラウン「Horse to the water」

2002年の「ジョージ・ハリスン追悼コンサート(コンサート・フォー・ジョージ)」から。                                                          サム・ブラウンの歌はど迫力で、バックの豪華メンバーの演奏に負けていません。素晴らしいパフォーマンスです。                               エリック・クラプトンの隣でアコギを弾いているのが、ジョージ・ハリソンの息子ダーニ。お父さんによく似ていますね。             勿論、追悼コンサートには、ポールもリンゴも出ていました。
                                                               ※曲の途中で宣伝が入る場合があります。

こちらがジョージの元歌です。                   008 ジョージ・ハリスン「Horse to the water」

「Horse to the water」は息子ダーニとの唯一の共作で、死の2か月前に録音された最後のレコーディング曲。追悼コンサートでもピアノを弾いていたジュールズ・ホランドの編曲が素晴らしく、ジョージの抒情歌手としての側面がよく出ています。                        病のせいか、声の質が少し変わっているような印象を受けるのがちょっと悲しいです。もしかしたら何回もテイクを重ねることが出来ず、一発録音同然だったのかもしれません。

ソロ時代のジョージ・ハリスンの泣き節が聴ける曲をもう2曲。

009 ジョージ・ハリスン「Art Of Dying」

ビートルズ時代に発表の機会がないまま書き溜めて来た曲をまとめて一気に吐き出した感のある実質的ファースト・アルバム『オール・シングス・マスト・パス』(何と3枚組)に収録された曲。                素晴らしいサビのフレーズが1回だけなのが何とも惜しいです。せめてもう1回フルに繰り返してしてほしかったなと。

010 ジョージ・ハリスン「Tired of Midnight Blue」

1975年の『ジョージ・ハリスン帝国』収録曲で「哀しみのミッドナイト・ブルー 」という邦題が付けられていました。同アルバムには「ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープス」の続編のような名曲「ギターは泣いている」も収められています。

011 橋幸夫「江梨子」

歌謡曲の泣ける曲ベスト1は、やっぱりこの曲でしょう。吉田正のメロディは勿論ですが、佐伯孝夫のある種ストーリー性のある歌詞が泣かせます。 橋幸夫がそれまでの「股旅・時代劇もの」から現代の「青春歌謡もの」へと路線転換した記念碑的作品。レコード会社が力を入れた事や曲自体のよさも手伝って大ヒットしました。  
                   
女性コーラスが抒情性をより高めていますが、御三家をはじめこの頃の青春歌謡には、女性コーラスが多用されているのが一つの特徴です。                          

大ヒットを受けて1962年に制作されたのが、映画『江梨子』。      高度経済成長を背景に、集団就職で多くの若者が都会に出て来るようになると映画会社はそれらの若者たちを主なターゲットにした青春歌謡映画を量産し始めます。歌謡曲がヒットするとそれにタイアップして、同じ題名の映画を大急ぎで制作公開というパターンでした。                           

制作状況からプログラム・ピクチャ的な即席映画が多かった中で、映画『江梨子』は舟木一夫の『絶唱』と並んで佳作と言ってもよいなかなかの出来栄え。差別や身分違いの悲恋を主題とした所謂「反封建映画」(代表作は木下恵介の「野菊の如き君なりき」)の系譜に属する作品でした。                       
ラストの墓参りシーンで撮影された海と対岸の遠景が超絶の美しさで、ロケ地が分かればぜひ行ってみたいものです。

ついでに時代劇ものの名曲も1曲。

012 橋幸夫「南海の美少年(天草四郎の唄)」

こちらも吉田正・佐伯孝夫コンビの作品で、「島原の乱」を題材にした悲痛な歌詞とメロディが受けて、「股旅・時代劇もの」としては最大のヒット曲になりました。                           

013 西郷輝彦「十七才のこの胸に」

西郷輝彦は元祖御三家の三番手として1964年に歌手デビュー。      4枚目のシングル「十七才のこの胸に」は、デビュー作の「君だけに」に次ぐ大ヒットを記録。西郷輝彦の歌の中では、最もマイナー調で悲愁感を強く漂わせた名曲だと思います。 
                    
鮮度の落ないうちにと本間千代子、園まりとの共演で大急ぎで映画化されましたが、作品としては極めて平々凡々とした出来でした。まあ、ファンとしてはお目当ての西郷輝彦が動き歌う姿が観られれば大満足なので、映画の出来は二の次と言うことだったのでしょうね。

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