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1998年2月6日他界するまでの5日間

「食べたくない、ベッドに横になりたい。」
と、言いはじめた。

1998年2月1日のこと
ケーキを買って帰った。
その中のゼリーを食べてくれた。

「ベッドに行きたい」というので連れて行く。
両手でおばあちゃんの手を握って、寝室へ。

もう夕方だったので、そのまま眠ってしまった。

「おかしい。。。」
みんなでいつも、おばあちゃんをみてきたので、みんなに不安がよぎった。

母と叔母と話し合い
訪問医療
訪問看護を依頼しようとなりました。

家での看取りには、そういう用意は必要だ。
準備したくないけど、おじいちゃんとおばあちゃんの2人暮らしでは、なにかあったら、警察が聞き込みとかは避けたい。。
「しんじゃったら、どうしよう。。」
と、みんな思っていたはずだ。

次の日は、東京都下は大雪にみまわれることに。
そんななか、訪問看護や念のため、老健(リハビリしてくれる施設)に、叔母と見学に行く。


※おばあちゃんのことは家族みんなでみていた。
私は当時、23区内に住んでいましたが、不安になってからは実家に泊まり込みました。
おばあちゃんの家は実家と同じ敷地内でした。

86歳の時に、歯肉がんを患ってから、私(孫)は病院に車で連れて行き、お医者さんの話を聞いて、治療をどうするかを話し合うことにした。

「放射線治療で治った」と、はじめの治療がおわってからのこと。3ヶ月くらいで再発をしたことがきっかけ。

おばあちゃんの娘である、私の母親。
おばあちゃんの娘である次女は、叔母です。
2人の娘は病院で、「治った!」と言われて喜んでいた。それを聞いた私もほっとしていた矢先の再発。。。
ショックの先が、母と叔母に向かい、、お医者さんとのやり取りに不安を感じて病院には私も行くことにしたのが、はじまりでした。

それからは、なんでもやりました。

入院するときには、交代で泊まり込み、呆けさせないようにと、術後の転倒などが不安から。
その時のことも、後々、書き綴りたいと思います。


おばあちゃんの孫より

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