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「無駄」にしてしまう、私の原因

2年ほど前から、体重が1〜2キロ増えてる気がする(気のせいではないんだけど)体重から考える話を今回は徒然に書こうと思います。体の状態から自分の心の状態を考えてみる話、パート2です。
前回の「肩こり」の話はこちら


よく、余計な気持ちを溜め込んでいる人は、太っとり、むくんだりするとい話を聞いたことがあって、私も余計なものをため込んでいるんじゃないかと言う考えがどこかにあった。でもその余計なものっていうのはよくわからない。

単純にそんな事は考えず、食べたいものを食べすぎてんじゃない?って思っている今日この頃。体が重たいのは、事実良くない。
なのでちょっとファスティング(もどき)でもしてみようと、食べるのをやめたら、もちろん食べ物の分で体は1日で軽くなった。で、もちろん空腹も感じてくる。

そういう時間を過ごしていくうちに、空腹を2回ぐらい乗り越えたころ、「なんか、食べようかな〜」と思い始めた。まだ、ファスティングめいたものは続いていたので、どうせ食べるなら、めっちゃ食べたいものを食べよう。そう思って、「今、一番食べたいものはズバリ!?」自分に問うた。考えれば考えるほど、自分が本当に食べたいものがよくわからなくなった。
それで1番初めに出てきたのは、焼きたてのチーズケーキ、もしくは、うどん、だった。

チーズケーキやうどんなんて、ダイエットしている人から見たら、1番の高カロリー食品もしくは、炭水化物ではないか!笑
よく、SNSなどで「本当に食べたいものを食べるのが自分を愛することだ」「本当に食べたいときに食べたいものを食べるのが健康」と言うようなキーワードを頻繁にみることを思い出す。
何が正しいのかよくわからん。
それの言葉とか行動の本当の意味ってどういうことなんだろう?と考えた。


今、私は多分チーズケーキが食べたい。
ではそれを、この空腹に、しかもより吸収される状態で食べるって言う事は、、、まぁどうなんだろうね。
しかし、きっと私はこの味(チーズケーキ)を、今!味わいたい!と体が求めてるから絶対に満足するんだろうと言う事は容易にわかる。その時の至福感や、一緒に飲むであろうカフェラテを想像して、これを食べたらこれを飲んだら〜なんて想像するだけで、めちゃくちゃ幸福感が得られる。
「食べたいものを食べる」って言うキーワード、自分の惰性を正当化する言い訳に使ってしまうのは良くないよなと思ったけど、何かの理由や条件を全て削ぎ落とした時に、心から望むものだけを食べて幸福感を味わいたいっていう、ただただシンプルなことなのかなと思った。私の場合だけれど。

うどんの汁をすすって、出汁の香りで幸せに包まれたい。
チーズケーキのクリーミーな舌触りを味わって幸福感に包まれたい。
体はきっと求めているのかもと思うんだ、今の自分にとって。そうであれば、それ以上に何かを食べようとか、必要以上に摂取しなきゃって思考にならないよな、きっと。余計なものは食べない。

そういう食生活を続けていくと、きっと本当に無駄なものを食べなくなるんだろうなぁと思った。

思い返せば、我が家の冷蔵庫の中には、昨日の残っているおかず、多めに炊いて余ったご飯、などがある。

私は、日常的に、おかずの作り置きをするんだけれど、結局そうすると「これ食べてしまわないと」と翌日に思う。自分が、一見、時間の無駄がないように作った作り置きのおかずによって、自分の食べるということに対しての無駄ができていることに気づく。

だからこれから食生活においては、「これを作っておいたら明日は作らなくていい」とか考えず。今食べたいものを食べたい量だけ1日ずつ作っていこうと心に決めた日であった。


読んでくれてありがとうございます。 ふと思った時に、心のままに書いています。 よかったらまた読んでください。