おみくじ惨敗

普段占いなどは信じないという態度でいるが、引いたら引いたでその結果を引きずるたちなのである。
だから私は自分からおみくじを引かない。

ある夏の日、数人で伏見稲荷大社にお参りした日のこと。そう、引いてしまったのである。おみくじを。致し方ないことであった。一定の社交性を持つ人であれば、皆で一緒におみくじを引こうという時に自分だけ引かないということなどできはしないのだから。
さて、ところで引いたおみくじは、凶後吉であった。何も良いことが書いていない。
それが夏の夜だった。かれこれ半年間も、折に触れてはその凶後吉を思い出して気分を沈めていたのである。ろくなものではない。道鏡の昔から神意を尋ねても良い事はない。

そして来る12月31日。大晦日に神社に行きたいという友達がいたから付き添って参った。ふと目に入るおみくじの幟、思い出すあの凶後吉。この嫌な思い出を、是非塗り替えてから新年を迎えたかった。それから12月はひどい目ばかり見たから、すこしでも慰めになればと思った。
今から思えば、この軟弱きわまりない、神仏にすがる非自立的で近代人の風上にも置けない姿勢がだめだった。
つまるところ、またしても凶後吉を引いたのだ。
凶後吉のおみくじにはつらつらと、やれ失物がでないだの縁談がととのわないだの、終いには旅立てば行きて帰らず控えるべしなどと並んでいる。唯一の「良」の字は東の方、良しというのであるからどうしようもない。

2024年はきっといい年になりますように。

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