当たり前を当たり前に

平日夕方のテレビのニュースが面白いと感じるのは、普段見ることができないから。学校を休んだ日の昼間に見た教育テレビのことを思い出した。

良くも悪くも何かにハマるとそれだけになって他の選択肢があることを忘れてしまうわたし。ふとしたときに仕事の休みを取り、それで失っていた感覚を取り戻すことが多い。今日もそれであった。


今日はお休みをいただいて、午前中は皮膚科に行き、顔の赤みの相談とシミの相談をしてきた。シミを取る相談のみのつもりで行ったのだけど、顔の赤みも気になるしついでに、と思って話してみた。そうすると、赤みの話がメインみたいなっちゃって、シミの話がちょびっとになった。それくらいのシミなら…みたいな医者のテンション。自費診療になっちゃうし、ということでとりあえず顔の赤みのお薬だけもらった。最近保険適応になったらしい。ラッキー。

皮膚科の待ち時間にお昼をどこで食べようか調べていた。
○○(地名) ラーメンとか定食とか、カレーとかハンバーグとか、数多の食事を入れて検索しても毎回ヒットする定食屋さんがあった。もうここしかない!と思ってその店へ向かう。そうするとその店、昭和な面構えなんだけど、入り口が二つある。入り口ごとに消毒液があった。「どっちから入ったら…?」
無論、どちらでもいいんだけど、そして右側の方を空けて入ったんだけど、店員がいない。客もそれなりにいる。席は空いているところはある。

店員がおらず、どこに座っていいかもいまいちわからず、店に奥行きがなく、店内にいる客たちの視線を総取りしてしまい、気まずくて扉を閉めた。勝手がわからない店に入るのはやっぱり得意じゃないと痛感した。

動揺してたから車をぶつけた。固くないもの(やわらかい素材のポール?)だったからお互いに傷なし。セーフ。


そのあと、どこでご飯しようかな~とふらつく。あ、行ったことないレトロ喫茶店に行こうと思い、車を走らせた。
その途中、皮膚科で検索していたときに出てきた洋食屋の前を通りかかる。駐車場が広い。あ、ここでいいか、となる。一人でふらふらするときのごはんは出会いと思いつきが大切、ということでレトロ喫茶店はまた今度ね。

その出会った店に入る。さっきの定食屋と違い、思ったより奥行きがある。店内は自分以外に二組しかおらず、閑散。店員さんまた出てこないじゃん。
(どうしよう…出ようかしら…)と思ったけど、ここで帰ったら負けかなと思って空いている席に座った。気付いてもらえるかそわそわしていたけど大丈夫だった。ポークソテーのセットを頼んだ。
個人経営みたいな洋食屋さんだから食事が出てくるまでに時間がかかる。その間弘中アナの本を読んでいた。

でも、別組の中高年女性二人組の会話が気になって集中できない。「要介護認定が」とか「ケアマネジャーが」とかそんな言葉が聞こえてくる。今日は仕事が休みなのにまたこういう話…と思い、げんなりしていたら食事が来た。トマトソースのポークソテーだったけど、トマトの酸味が強かったな。

食事が済んだらまた店員が消えてしまうんだけど、今度はレジがどこか分からない。先に会計をする人に習おうと思うと、今度は同世代くらいの女性二人組が入店。食後の珈琲を飲みつつ、友人にラインを返していると、「挙式の打ち合わせが」とか「親族の顔合わせが」とか聞こえてくる。おっとりして静かそうな主張しなさそうな女子二人組。こういうおっとり系女子たちって友達と遊ぶとき何して盛り上がっているんだろうな。(まわりにおっとり系の同性の友達がいない)
聞いてられなくて、そしたら他の客が会計してたからそのまま並んで待った。その横に店のオーナーと思われるおばちゃんが並んだ。微笑まれた。それだけ。

その後、別れ際わたしに説教してきた元カレのアパート近くのカメラ屋へ行く。(説教別れ話参照)
こことかこの周辺通ることができなかった頃が懐かしい。きちんと失恋と向き合って、努力してた20代半ばのわたし。偉かったね。でもその努力は報われたけど、報われず、今ここに30歳独身の迷走するわたしがいますよ。
そのカメラ屋さんに目的の品はなく、早々に退店。

その後、一時期とっても通っていたカフェへ数か月ぶりに行った。入店早々、その店の奥さんやバイトのバンドマンに「久しぶり」と声をかけてもらう。あぁ、ホーム。正式に言うと、そこまでホームじゃないけど、前述の定食屋とか洋食屋とかと違って、勝手知ったるお店だから気持ちが楽。
久しぶりに洗練された空間に行き、センスが良い人たちと顔を合わせると気持ちが明るくなる。以前はこのカフェの近くにある補正下着屋に通っていたので、カフェにくる回数も頻回であった。補正下着屋に通うことをやめ、節約しようモードになり、もうひとつ行きつけの坂元裕二の話をする店員さんのいるカフェのが家から近いし、そちらにばかり行っていた。最近ではそちらにも行けていないな。年内にご挨拶もかねて行きたいところ。


さて、そのホームのようなカフェで弘中アナの本を読んだ。弘中アナの文章が好きだし、考え方が好き。タイトルはその中の話から。
「凡事徹底」という章タイトル。当たり前のことを当たり前にする。
弘中アナはテレビでも書籍でも言うことが一貫していて好き。ぶれないところがいいなあと思う。わたしはいつも人の言葉に振り回されている。それは自分がないから。今年度は仕事でそれが顕著だけど、友人との関わりの中でもそう。
「みゅう子って○○だよね」とかわたしをラベリングをする言葉を受ける取ると傷付くことがあるし、わたしではなくわたしの行動を否定されたときにはわたしの存在自体を否定された気持ちになってしばらく落ち込み、その友人と連絡を取ることをやめてしまうことがある。(本当に仲が良く、つながりが深い友人ならば傷の度合いによるが時間を置いて仲直る、仲直るといっても友人に傷ついたとか意見を言うこともなければ、悟られないようにヘラヘラしているだけだし、相手は何も気づいていないと思うけど)

わたしはこうだから!という気持ちがあれば、そんな他者の言葉に振り回されることなんてないんでしょうけど。


弘中本、ラスト一章を残してカフェ退店。癒された。
いつもいつも頻回に行く必要はないというか、頻回だと尊さも薄れてしまうから、たまに行って癒される場所、にしておくのがいいんだな、と思い、ドン・キホーテとスーパーと家電量販店に寄って帰宅。


女の園の星を読みつつビールを飲み、夕方のニュースを流しながらこの画面を開いたのであった。同時並行にいろいろやりすぎやろ。

その後、冷蔵庫の中の物消費ご飯をつくり、お風呂に入り、スキンケアをし、弘中アナの本を読み終えた先程。

最後の章を読んで泣いているわたしがいた。
この本を読んで泣く人間てあんまりいないと思うのだけど、泣いたマイノリティであろうわたし。


テレ朝の入社試験の話。自分が何者であるかの話。
30代になると自分の天井が見えてきて20代のときと同じようには頑張れない話。
憧れのこの人でもこんなこと思うんだなあ、と思った。

この本の最後に、第三者からのお話が入って、やっぱり弘中アナは逸材なんじゃん…と思うけど当人にその意識がなく、平凡であると思い、驕らず、当たり前のことを熟そうと努力している。

弘中アナに限らず、わたしが好きなアイドルたちだってそうなんだよね。


今朝、わたしのスタンスが友人もわたしもわかんないね、って話をした。このことについては、何人かにそれっぽいことを言われている。

わたしが分からないんだもん、周りの人だってこいつ言動チグハグだな、とか、30歳落ち着けよ、と思っているはず。

でも、未婚子供なしの同世代は同じような悩みを持っているんでしょうね。わたし、まだ振り切る覚悟がないみたい。

みゅう子ちゃんはどうしたいの?
みゅう子何したいのか分からないよ、等々聞かれるけど知らんわ!
目標が決まっていたらわたしこんなぶれてないわ!と思う。


友人たちもそんなわたしを見てイライラしたり、疑問に思ったり、ネガティブな気持ちを持つのだろうけど、それでいても友人でいてくれてありがとう、だけどしばらく多分ぶれるわたしです。

目標を決めて進みたいし、決意は口に出したいから話すのだろうけど、口に出さず、文字に起こさず、忘れないように自分の中に秘めていたことの方が守られていたりもする。

来年は不言実行の年になるといいのかしらね。

あ~~~。もうこんな時間(23:49)

長く書きすぎた。

この辺で終わります。またね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?