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祝20

3/24 三浦くんのお誕生日。

生きとし生けるものたちが厳しい寒さを越え、すくすくと芽吹きだすこの頃。春麗らか、新しさ満ちるこの時季は三浦くんにぴったりだと本当に思う。そして瑞々しい春の色彩を添えて立つ姿はとてもよく似合う。

一昨年の春、梅田芸術劇場前の賑わいに拍車をかけるようにその日はずっと甘い風が吹いていた。当時の三浦くんはたしか18歳になりたてで、ふっくらとした真っ白い頬に映えるほのかな薄ピンク色が印象的だった彼に、私は苺大福を密かに連想させていた。19歳になってからは丸みがかった頬に少し影が落ちてきて、ふっくらとした柔さはしだいにツルンとした滑らかな曲線へと変わっていく。その様子に少しずつではあるけれど確実に、ひたひたと少年から青年へと歩みを進めていく世の常を感じては穏やかに諸行無常をかみしめていた。とは言っても今も変わらずいろんなお兄ちゃんたちから頬っぺたを触られるくらい魅力は健在。そして触れられては嬉しそうな表情を浮かべる姿はずっと愛らしい。

少しばかりの頬の変化に加えて近頃は「一寸光陰軽んずべからず」といった雰囲気が以前よりも色濃くなってきたような気がする。

「例えば僕らの世界であれば、実力がなくとも売れる人もいたりする。けれども売れたとしても努力をしなければ役者としてもしぼんでいくと思うんですね。人生って努力に見合う結果が必ずしも出るものではないかもしれませんが、努力はしたほうがいいんじゃない?って思いますし、僕はそういう人間でありたいです。」

中でも上記の言葉は体験を通して悟った言葉ゆえにブレがなく痛いほど真っ当で、実際は27歳くらいなんじゃないかと思ってしまうのだった。「出会いが早いか遅いかは関係ない」「いくつになっても与えられた役を演るだけ」「とにかく今を生きるのが一番。それが結果に繋がっていくと思う」というアスリートのような剛毅果断な人生観を信じて今日まで生きてきた彼の自信は強い。基本、四苦八苦したことについて声を大にしない性格ゆえに、その自信を会得するまで想像にも及ばない辛さも人知れずあったはず。それを見せようともせず、驕りもせず、かといってなかったことにもしない。それでこそ人生だと確と受け入れている、そんなように見えた一年だった。そしていつだって自身について語った最後には甘味のような優しさを以って無邪気に微笑む。その飾らない様子が私は大好きである。(←他にも大好きなところはあるけれど書いていたら一生が終わるので)

20歳とは【親権等から離脱し自己決定義務が生じる年齢であり、一般的に"大人"と認識されるようになる】ことらしい。10代の頃から大人よりも大人で生きてきた三浦くんだから、やっと心身に数字が追い付いてきたといったところだろうか。そんな彼に描く私の"理想"は当然の如く何もない。そう思うことすら烏滸がましく感じてしまう。ただ、(願うことが許されるのであれば)いくつになっても健やかでいられることを何よりもずっと願い続けていたい。

目に見えない大切なことに気付いてしっかりと向き合える豊かさも、勇往邁進に努められる勇気も、自らを重んじつつ育くんでいける心があることも、ちゃんと知っている三浦くんだから歳を重ねていくたびにきっと素敵な大人になると予感している。

命、凜と美々しく。

どうか三浦くんに一日でも多く、幸せがいつも側にありますように。

三浦宏規くん、お誕生日おめでとう。