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労働法UPDATE Vol.6:職場における多様性の尊重の在り方~国・人事院(経産省職員)事件最高裁判決を踏まえて~


令和5年7月11日、トランスジェンダーの国家公務員による職場でのトイレ使用等に関し、当該国家公務員のトイレの使用を制限する措置を違法とする判断を下した最高裁判決(最高裁令和5年7月11日判決。以下「本判決」といいます。)が示されました。本判決は国家公務員の勤務条件に関する事例であり、普遍的に妥当する判示ではないものの、職場での性自認に基づく行動への制限が争点となった初の最高裁判決でもあるため、民間企業においても、職場での多様性の尊重の在り方を考える上で重要な先例となります。以下その内容等詳細を紹介します。

1. 事案の概要

(1)原告(上告人)の性自認等について

本判決の原告(上告人)であるXについて、以下の事実が認められました。

  • 身体的性別および戸籍上の性別が男性、性自認が女性であるトランスジェンダー(Male to Female)であり、平成11年頃、医師から性同一性障害の診断を受けた。

  • Xは、平成10年以降継続的に女性ホルモンの投与を受けるとともに、鼻や額、顎、えら等の女性化形成手術も行い、平成20年頃からは、私的な時間の全てを女性として過ごすようになった。

  • Xは平成23年5月19日付けで、自身の名前を女性の名前に変更する許可を家庭裁判所から受けたが(職場である経済産業省における名前も変更)、健康上の理由から性別適合手術は受けておらず、性別変更審判も受けていなかった。

(2)経済産業省に入庁後

Xが経済産業省に入庁後の時系列の概要は以下のとおりでした。

2. 本判決に至る訴訟経過

以上の経過を踏まえ、Xは平成27年11月13日、本件判定の取消しや本件処遇等に関し国家賠償法1条1項に基づく損害賠償を請求する訴訟を提起しました。本件の論点は多岐にわたりますが、本判決でも争点となった本件判定部分の取消しについては、以下のとおり、第一審(東京地判令和元年12月12日労判1223号52頁)と控訴審(東京高判令和3年5月27日労判1254号5頁)で判断が分かれていました。

(1)第一審の判断の概要

第一審は、個人がその真に自認する性別に即した社会生活を送ることができることは、重要な法的利益であり、本件処遇は、その重要な法的利益を制約するものであると評価しています。その上で、Xの主張する平成26年4月7日時点では、経済産業省が主張するような、身体的性別または戸籍上男性である者が女性用トイレを使用することに対する羞恥心や違和感を抱く女性職員等との間でトラブルが生ずる可能性は、せいぜい抽象的なものにとどまるものであり、そのような事情をもって上記制約を正当化することはできない状態に至っていたと判断しました。そして、本件判定部分については、上記のとおりXの制約を正当化できない状態にありながら、考慮すべき事項を考慮しておらず、または考慮した事項の評価が合理性を欠いており、裁量権の逸脱・濫用として違法であるから、取消しを免れないとしました。

(2)控訴審の判断の概要

他方、控訴審においては、本件処遇は、トランスジェンダーによる自認する性別のトイレ等の利用等に関して具体的に定めた法令等による指針がない中で、経済産業省がXの要望や主治医らの意見、顧問弁護士の意見等を参考にしつつ、Xの希望を十分考慮した上で結論を導いたものというべきであり、また、経済産業省としては、他の職員が有する性的羞恥心や性的不安などの性的利益を考慮し、Xを含む全職員にとっての適切な職場環境を構築する責任を負っていることも踏まえると、本件処遇を平成26年4月7日時点においても維持していたことは、上記の責任を果たすための対応であったというべきと評価しました。そして、経済産業省がした上記判断はその裁量を超えるものとは言い難く、人事院による本件判定部分についても、裁量権の逸脱・濫用にはあたらないと判断し、本件判定部分の取消しを認めませんでした。

(3)第一審と控訴審の判断の対比

上記のとおり、第一審においては、性自認に基づいた社会生活を送れることを重要な法的利益と判断し、それとの対比で、経済産業省の考慮した事情を抽象的な事情にとどまるものと判断し、考慮不尽である旨の判断をしました。他方控訴審においては、その具体的な利益考慮の視点からそれ、全職員の職場環境の構築をする責任の観点から、総合的・抽象的な水準で経済産業省の検討手法を評価し、裁量の逸脱濫用ではないと判断しており、その判断の考え方が異なって結論が異なったものと思われます。

3. 本判決について

(1)法廷意見

本判決は以下(抜粋)のとおり控訴審を覆し、本件判定部分は具体的な事情を検討しておらず、裁量権を逸脱・濫用した違法なものと判断しました。

本件処遇は、経済産業省において、本件庁舎内のトイレの使用に関し、上告人(筆者注:X)を含む職員の服務環境の適正を確保する見地からの調整を図ろうとしたものであるということができる。

上告人は、本件処遇の下において、自認する性別と異なる男性用のトイレを使用するか、本件執務階から離れた階の女性トイレ等を使用せざるを得ないのであり、日常的に相応の不利益を受けている。

一方、上告人は、女性ホルモンの投与を受けるなどしているほか、性衝動に基づく性暴力の可能性は低い旨の医師の診断も受けている。現に、上告人が本件説明会の後、本件執務階から2階以上離れた階の女性トイレを使用するようになったことでトラブルが生じたことはない。また、本件説明会においては、上告人が本件執務階の女性トイレを使用することについて、担当職員から数名の女性職員が違和感を抱いているように見えたにとどまり、明確に異を唱える職員がいたことはうかがわれない。さらに、本件説明会から本件判定に至るまでの約4年10か月の間に、上告人による女性トイレの使用につき、特段の配慮をすべき他の職員が存在するかの調査が改めて行われ、本件処遇の見直しが検討されたこともうかがわれない。

以上によれば、遅くとも本件判定時においては、上告人に対し、本件処遇による不利益を甘受させるだけの具体的な事情は見当たらなかったというべきである。そうすると、本件判定部分に係る人事院の判断は、本件における具体的な事情を踏まえることなく他の職員に対する配慮を過度に重視し、上告人の不利益を不当に軽視するものであって、著しく妥当性を欠いたものといわざるを得ない。

出典:令和3年(行ヒ)第285号 行政措置要求判定取消、国家賠償請求事件
令和5年7月11日 第三小法廷判決

上記のとおり、法廷意見では本件判定時の時点においては、具体的な事情が種々あったにもかかわらず、それを踏まえることなく他の職員に対する配慮を過度に重視し、Xの不利益を軽視したことから、この具体的な利益衡量に基づいて、本件判定について裁量の逸脱濫用と判断しています。

(2)補足意見

また、本判決には5人の最高裁判事(独立した補足意見としては4人分)の補足意見が付されており、上記法廷意見の内容を理解する上で重要な意見が述べられています。それぞれの補足意見の概要は以下のとおりです。

4. 職場における今後の対応の在り方について

本判決は上記の各事実関係を前提とした判断ではあるものの、補足意見における指摘も含め、同種の問題について民間企業が対応を検討する上で参考になる判例といえます。

具体的には、自らの性自認に即した社会生活を送る利益の重要性やこの点に係る制約の重大さは、法廷意見・補足意見を問わず本判決において認められています。同種の問題について種々の調整を行う施設管理者・人事担当者等においても、この価値観を改めて認識しておく必要があります。特に上記の調整に際しては、本判決を踏まえれば、感覚的・抽象的に判断することは妥当ではなく、その時に判明している客観的かつ具体的な根拠に基づいて利益衡量をすることが重要となります。そのような検討を行うためには、トランスジェンダーの社員とその他の社員の双方から真摯に意見や要望等を聴取し、具体的な検討が求められることになります。しかしながら、他方でその前提として、カミングアウトを含む性的マイノリティに関する情報提供の在り方にはあらかじめ該当者と認識のすり合わせを行うなど、慎重な対応が必要です。

さらに、全社的な対応として、ある時点において他の社員のトランスジェンダー等の性的マイノリティに対する理解が十分でない場合には、そのような状況を所与の前提とするのではなく、研修その他の措置により職場におけるトランスジェンダー等への理解の促進に努めることが、本判決を踏まえ施設管理者・人事担当者等に求められる対応であるともいえます。

そして、トランスジェンダー等に対する社員の理解をはじめ、上記調整に関係する諸事情は時間の経過とともに変化し得るため、施設管理者・人事担当者等においては、ある時点における施策・判断が現在も妥当であるといえるのか、定期的な調査・検証を行うことが望ましく(特に不利益を受ける性的マイノリティの人から不服を申し立てられた場合はその時点における具体的な利益衡量を行う必要があります。)、本判決における重要な示唆であると思われます。

この点に関し、2023年6月23日に施行された「性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律」(いわゆるLGBT理解増進法)では、事業主に対して、性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する雇用する労働者の理解増進に努めること(同法6条1項)、その雇用する労働者に対し、性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する理解を深めるための情報の提供、研修の実施、普及啓発、就業環境に関する相談体制の整備その他の必要な措置を講ずるよう努めること(同法10条2項)等の努力義務が定められており、今後政府が運用に必要な指針を策定する予定とされています(同法12条)。

各企業においても今後、トランスジェンダーをはじめとする職場での多様性の尊重の在り方を検討する機会が増えていくものと思われますが、本判決や上記指針の内容を踏まえつつ、自社の事情に即して具体的かつ客観的に対応策を検討・実施することが重要となります。


Authors

弁護士 菅原 裕人(三浦法律事務所 パートナー)
PROFILE:2016年弁護士登録(第一東京弁護士会所属)。
高井・岡芹法律事務所(~2020年8月)を経て、2020年9月から現職(2023年1月パートナー就任)。経営法曹会議会員(2020年~)。日々の人事労務問題、就業規則等の社内規程の整備、労基署、労働局等の行政対応、労働組合への対応(団体交渉等)、紛争対応(労働審判、訴訟、労働委員会等)、企業再編に伴う人事施策等、人事労務に関する研修の実施等、使用者側として人事労務に関する業務を中心に、企業法務全般を取り扱う。

弁護士 岩崎 啓太(三浦法律事務所 アソシエイト)
PROFILE:2019年弁護士登録(東京弁護士会所属)。
西村あさひ法律事務所を経て、2022年1月から現職。
人事労務を中心に、知的財産、紛争・事業再生、M&A、スタートアップ支援等、広く企業法務全般を取り扱う。直近では、「ビジネスと人権」を中心にESG/SDGs分野にも注力している。


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