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100年を健康に生きる

70歳、75歳、80歳でエベレストの山頂に立った三浦雄一郎、そして2度のオリンピックにスキーモーグルの選手として出場した三浦豪太。その二人にもっとも影響を与えたのは、三浦敬三(雄一郎の父、豪太の祖父)でもあります。102歳を目前にして亡くなった三浦敬三ですが、亡くなる直前までスキーをしていました。その健康法と前向きな精神には、私たちも学ぶところが大きいと思っています。三浦敬三の著書「100歳、元気の秘密」から、秘密を紹介いたします。

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1. 体力維持を真剣に考え始めたのは「50歳」

三浦敬三がスキーを始めたのは北海道大学にいた頃。その後、就職をしてからも続けていましたが、仕事柄、体力には自信があったものの、退職した51歳頃から「体力の維持」についての方法を真剣に考え始めたそうです。体力の衰えを感じたのかもしれませんが、それ以上に目先に大きな「目標」が見えるようになったからです。

まず、60歳になった頃に訪れた、初めての海外旅行でもあったヨーロッパ・アルプスでのスキー滑降。これは三浦雄一郎が、イタリアのキロメーターランセに出場する際に同行した時のことだったとのことです。三浦敬三はヨーロッパ・アルプスで「氷河を滑る」というのを耳にした時、胸が高鳴るのを覚えた、と。

このように目標が見えてくると、それに向かって体力を維持する必要性や、健康でいることの重要性を感じることができます。「健康でいるために、普段の生活に気をつける」のではなく、「目標があるから、普段の生活に気をつける」ということが大事だということです。

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