「面白がる」から逃げない。

2019年は「なにこれ、クソつまんねえよ」とこぼすことが多い一年だった。稼いでいる奴を見れば「いや、俺の方が絶対面白い」と強がり独り言、自分よりも目立って気持ち良さそうにしている奴を見れば「そう長くは続かねえよ」と中指立てて不貞腐れる。「嫉妬なんかダセェよな」と言いながらも自らがそうしているのだから何一つ説得力が無い。

「面白がれない一年」だったように思う。流行を気にしない一匹狼、孤高を標榜し、己の見込み能力にフルベットしてもリターンが無い。どんなに怒っても金は入ってこない。闘志燃やしたつもりが、ただただ身勝手に怒れるだけだった。家の壁を殴る中学生のガキどもと変わらない。

面白がることができなくなっていた。どこに行っても耳に入ってくるJ-POPが気持ち悪くてしょうがなかった。自身愛する「パンク」を、くだらねえ「言い訳」にしてしまった。仕事が来ないことを友達のせいにしてきた。「なんでこんなに上手い文章を書く俺に仕事を振らねえんだよ」と。自分が何もかもを面白がれないせいなのにも関わらず。いや、『一緒に仕事しようよ』と言いながらもぬけぬけフェードアウトしていった奴のことは恨み忘れないが。もう顔見せんなよ。俺から遠いところで勝手に幸せやっといてくれ。


もうめんどくせえから、なるべく「面白がる」ことにしました。嫉妬してても、何も生まれない。目を背ければ、学ぶものはひとつとして無くなってしまう。

つまんねえことを「つまんねえ」と言えるようになった昨年、俺はひとつ大きな勘違いをしていたのだろうと思う。「つまんねえ。全然つまんねえ。でも、ここだけは面白いと思う」と言えなかった。どこか一点だけでも、面白がれる部分を見つける努力が怠られていた。かなり危険だ。かなり危険だ、と思えて良かった。

本当は怖くて、尻尾巻いて逃げてるくせに、「俺は俺なんで。俺の世界があるんで」と書いた。言った。歌った。目を伏せた。足もたれながら走って逃げていた。

もうやめよう。つまんねえ時も、「つまんねえ」だけじゃなく「つまんねえけど、ここは面白い」と言おう。そうして、その「つまんねえ奴」を利用しよう。たったひとつ、面白いと思えたポイントを、貪欲に吸い尽くしてやろう。SEX PITOLSのジョニー・ロットンが歌ったワンフレーズ。“I use the enemy. I use anarchy.” にまるっとあやかろう。敵をも利用する。

その時、なるべく馬鹿にせず、素直に面白がってみよう。今年は良い年になりそうだ。これまで俺が思ってきた「つまんねえ奴」とも仲良くしよう。できる限り面白がって、アナーキーでもなんでもいいや。楽しくニコニコしていよう。その自らすらをもメタ的に「面白がる」ことで、すべて面白がれる得な人間になっちゃおう。今年もよろしくお願いします。

頂いたお金で、酒と本を買いに行きます。ありがとうございます。