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見えなくなるまで手を振って、きっちりお別れすること。

『一杯行かないっすか?』

 僕が東京に出てきてからずーっと仲良くしてくださっている方から、ひとつ連絡。平日ど真ん中、水曜日のことである。20:37に来たその連絡に、たった一つ「行きたいです」と返事をした。仕事の終わりは見えなかったが、無理くりにでも行きたいと思った。

 思った通りに仕事が終わらず、ずるずると21:30。彼は『今から銭湯行くんで、1時間後に合流できるかどうかですね』と言った。好都合であった。22:30に会えさえすれば、大好きな人と酒を飲める。「仕事に精が出る」とかいうのはよくわからないが、きっとそんなもんだった。ガリガリ仕事をし、きっぱり22:20に会社を出る。

 レモンサワーを200円で出しているきったない居酒屋の前、タバコに火をつけて彼を待った。程なくして『おつかれっす〜』と彼。銭湯帰りの髪がしっとり濡れていて、もとより男前の顔が増して端正であった。サウナに入ったという。良いですね。

 中目黒にある、レモンサワーがうまい店に行った。道すがらに『今日やばいんすよ 会う人会う人みんな巨乳なんだよな』と言う彼は、久々に会ったせいか、はたまた巨乳の女の子たちのせいか、見るからにうきうきしている。嬉しかった。僕も少しうきうきした。居酒屋のレモンサワーは、やはりうまかった。隣の大学生グループが、ずっと「好きな対位」について話していて、僕も混ざりたかった。これは冗談だ。後背位だ。失礼しました。

 会うたびいつも酒に強い姿を見せる彼は、今日に限ってなんだかすごく酔っ払ったみたいだった。『眠てえ』と、多分100回くらい言っていた。眠すぎてトイレに座って寝ていたらしい。ドアの前に列をなした男の子たちの、怒りながらも尿意を我慢する複雑な表情の横顔を、僕は見逃さなかった。

 ちょっと起こしに行こうかと思ったが、ぶん殴られれば面白いだろうと思い、「すいませんねえ 僕の友達が」と言うにとどめた。蓋を開けてみれば、ぶん殴られることもなく、彼は飄々と席につき、ほどなくして『帰りましょう!』と言った。殴られていれば面白かったのに。


 店を出る。彼は、コンビニに寄って水を買った。最初の一口を豪快に吐き出して、『いやー、なんか疲れてんな』と言う。僕はそれを見てけたけた笑いながら、「面白いなぁ」と言っていた。面白かった。だらしねえなぁ、と思った。

 『じゃっ!』と僕に言い残し、千鳥足で帰って行く。僕はそれをずっと見ながら、(やっぱりあの人面白いよな…)と思った。酒は偉大だと思う。ありがたいもんだ。

 タバコが短くなるまで素直に見続けていると、彼はたまにこっちに振り返り、手を上げてきた。だらしなく首だけこっちを向く彼に、僕も手を振り返した。千鳥足の彼が見えなくなるまで手を振って、電柱の陰に消えたのを確認したのち、僕も駅に向かった。


 僕には、帰り際に手を振り続けるあの時間を、尊いと思う節がある。二人の時間の終わりを惜しむように、また、こちらに振り向いてくれるのを少し期待するかのように、見えなくなるまで手を振る。手を振るまではいかなくとも、ずっと見続けるくらいは絶対にする。

 きっと、感謝の気持ちである。少々心配の気持ちでもある。何にせよ、表現しがたい。楽しかった時間の終わりを少し惜しんでもいる。よくわからないが、どうしても僕は、僕と一緒に酒を飲んでくれた人が帰るのを、しっかり見届けたい気持ちになる。

 言ってしまえば、振り向かなくても良いのだ。無事に僕の目の前からしっかりいなくなって、少なくとも僕が見届けたうちは無事であるなら、それで良い。手を振る理由は「無事を願う」だけに収まりそうもないが、これは心から思う。誰にも死んでほしくないし、一緒に酒を飲んでくれる人には幸せであってほしい。手を振って、その間幸せそうなら、それが最高である。

 彼の『じゃっ!』という言葉を皮切りに、クラウチングの格好から急速に家へと走り出してしまうのは嫌なのだ。俺はいつものんびりしていたい。別れはできる限り、デクレッシェンドみたいなのが良い。グラデーションでどんどん彩度が薄まっていくのが良い。金太郎飴も、割れば同じ絵柄だとはいえ結局断面である。俺は、できれば水飴みたいな方が良い。びよーんと伸びて、いつまでも切れず、伸びに伸びた結果にぷつっと切れるくらいのがちょうど良い。別れというのは、いつもそうあって欲しい。

 酔っ払ってしまったから、自分でも何を言っているんだかさっぱりわからないが、そういうことである。「何を言ってるか自分でもわかんねえけど、そういうことだ」なんて、二度と言いたくないな。

 この文章を読むために捧げてくださった4,5分を、てっきり無駄にさせてしまいすみません。何になるでもないとは思いますが、もしも(読めて良かった)と思ってくださっているなら、それはそれとして最高です。じゃっ!

頂いたお金で、酒と本を買いに行きます。ありがとうございます。