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僕がサンタになった日

僕がサンタになる日が来るなど考えてもみなかった。

我が家は全然熱心ではないが一応先祖代々の仏教徒である。だからクリスマスは直接的には関係がない。
だけど宗教的な意味は別にして、クリスマスにはサンタクロースからプレゼントをもらう日だということや、美味しいものを食べる日だということを我が子が分かってくれた頃、僕はその夜サンタになった。

我が子の枕元にぶら下がっている小さな靴下には入らない大きさの、事前に欲しいものを聞き出して用意したオモチャを置き、翌朝のはしゃぐ姿を想像してにんまりしたものだ。
もちろんささやかだが妻へのプレゼントも忘れなかった。えらいぞ。

だが翌朝、僕たち親の意に反して我が子は妻ほどには喜びを示さなかった。
妻はささやかなプレゼントを喜んでくれたんだけどなぁ。

欲しかったんじゃないのって聞いてみた。

サンタの真似事はしてみたものの、我が家に煙突があるわけじゃないし、サンタの姿を我が子に見せたわけでもない。ましてやサンタの衣装を着たわけじゃないし、白い髭を生やしたわけでもなく、太ったわけでもないから、サンタの成り切り度が低かったからかと思ったりもしたのだが、我が子の答えは全然違い、二つ目だと言う。
もう一つはどこにあるのって聞くとひいおばあちゃん家だと言う。

そう、我が子は幾つもの財布を持っていることを忘れていた。

僕の方では初めての男の子であり初めての内孫。妻の方では初孫であり、曾祖母にとっては初曾孫となる。

そしてジジババたちは自分たちを気に入ってもらうためにオモチャやお小遣いやお土産などで釣って釣って釣りまくる。

我が子がこれが欲しい、ここへ行きたい、これが見たいなど希望を述べようものなら即座に適えてしまうほどの無責任な溺愛振りに、親の僕たちが引いてしまうほどだ。
幸か不幸か、あまり欲のない子に育ったようで、デパートのおもちゃ売り場やトイザらスのようなおもちゃ屋へ行っても駄々をこねられたことがない。聞き分けの良い子だったのか、ジジババの誰かに言えば手に入るから戦略的撤退をしただけなのか今となっては知る由もない。
そして今回のクリスマスプレゼントも、我が子がボソッと話した言葉を聞きつけた曾祖母が、その日のうちにデパートの外商に電話して取り寄せたものだということだった。

こうして初サンタはあえなく撃沈したのだが、今となっては良き思い出となっている。

そうそう、クリスマスといえばケーキがつきものだけど、我が子のケーキの食べ方には癖がある。あくまで小さい頃なんだけどね。
まず上に乗っているフルーツを食べる。
もっと食べたかったら親の分であろうが誰の分であろうがフルーツを分捕って食べる。それに文句を言う大人はいない。
スポンジの中に含まれているフルーツはあまり食べない。
そして生クリームを少し舐める。スポンジは食べない。それで終わりだ。
フルーツが食べたいのならとフルーツタルトなども試してみたが硬くてイヤだという。
残ったほぼスポンジだけのケーキの処理は僕の仕事だった。これにも文句を言う大人はいない。

わがまま放題に育ててしまったが悔いてももう遅い。
それでも曾祖母が亡くなるまで頻繁に家に出向いては曽祖母孝行をしてくれてたらしい。えらいぞ。
だがこれには少し疑問があり、小遣い欲しさだったという説もある。
まぁ、そうであったとしても曽祖母が喜んでいたことは間違いない。やはりえらいぞ。

そんな我が子も成人し社会人となり伴侶を娶り今秋子供が生まれた。
僕にとっては初孫になる。
まだ生まれて間もないから今年のクリスマスには聞けないが、来年くらいにはサンタさんへの願い事を教えてくれるだろうか。
ジイジはそれが知りたいんだけどなぁ。


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