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古事記百景 その一

わたくし、太安万侶おおのやすまろと申します。
天武天皇の命により『古事記』の編纂が始まり、最終的にわたくしが完成させました関係から、今回のオファーを頂戴しまして、再び古事記の編纂をさせていただくこととなりました。
さて、どんな編纂をするのか、詳しいことは聞いておりませんが、ワクワクが止まりません。

最近では教科書や様々な書物などにも『コジキ』と記されているようですが、『フルコトノフミ』とか『フルコトフミ』と読んでいただく方が、当時の雰囲気を少しでも感じていただけるのではないかと思う次第です。

では、どのようにして古事記が生まれたのか、少しだけご説明させてください。

元々、『帝紀ていき』という歴代天皇が今までに行ってこられたことが書かれた書物と、『旧辞きゅうじ』という各地の神話や伝承が書かれた二つの書物がありました。
しかし、時間とともに、新たに書き加えられたり、元々の文章を書き直したり、削除されたりしていたようです。

それらに書かれている内容を調べ直し、嘘や誤りを正し、再編集したものを、文章を一度見たら暗唱ができ、一度聞いたら忘れないという、抜群に記憶力の良い稗田阿礼ひえだのあれ君が何度も何度も繰り返し読んでくれて、それをわたくしが口述筆記したものを、さらに整理して、三十年ほどの長い年月を費やし、この事業を命じられた天武天皇は薨去されましたが、元明天皇によって引き継がれ、古事記が生まれました。
全三巻です。

まあ、稗田阿礼君に関しては若干誇張も入っておりますが、あの方が素晴らしい人材であることは間違いございません。
一説によると稗田阿礼君は男性なのか女性なのかとの議論もあるようですが、実際にお会いしてお仕事をご一緒させていただいた身としても、お声をずっと聞き続けた身としても、判断に困るほど、不思議な方でした。
一度男性用トイレに入られたとの噂が立ち、あの方は男性だったのだと思いきや、後日出産されたとの噂を耳にし、やはり女性であったのかとトークが盛り上がったのを覚えております。
いやあ、実際はどちらなのでしょうね。
お仕事でご一緒だった時に聞いておけばよかったのですが、とてもそんな勇気はありませんでした。しかし、それが今となっても話題や議論になるとは、稗田阿礼君はスゴいですね。

内容を簡単にお伝えすると、天地の始まりから第三十三代・推古すいこ天皇までの間に、こんなことがありました、あんなこともありましたと、エピソードが披露されています。

因みに、ご存じの方も多いでしょうが、『日本書紀』という書物もございます。
こちらも同じく天武天皇の命により編纂されましたが、天地の始まりから第四十一代・持統天皇までのエピソードが、なんと全三十巻に渡り書かれています。
完成までに四十年の月日を費やしたといいますから、大事業だったのでしょうね。
しかし、残念なことではありますが、このような国家的大事業にもかかわらず、どなたが編纂に携わられたのかはよく分かっておりません。
長い年月と大勢の方が携わったことで、主要編纂者が決められなかったということでしょうか。せっかくの大手柄をもったいないことです。

実は古事記と日本書紀では、完成の年月に八年ほどの開きがありますが、後に完成した日本書紀の方には、キッチリ八代先の天皇まで記されているというのは、偶然か、運命のいたずらか、はたまた日本人の律義さ故でしょうか。
ではなぜ古事記と日本書紀、一般に記紀と申しますが、同じ天皇の命によるのに、二つも必要だったのでしょう?
公式の歴史書なら一つでいいと思われませんか?
それならわたくしも、あれほど苦労はせずに済みましたのに。

二つが必要だったのかどうかは、後世の皆さま方に判断していただくとして、意味合いだけを説明しておきますと、双方に重複する内容は多いのですが、『古事記』は、主に天皇がお生まれになるまでの神々のお話しと、以後の天皇家を中心に書かれています。
それに対し『日本書紀』は、外国に向けての日本国の歴史が書かれています。
まあ、単純に国外向けが日本書紀で、国内向けが古事記だと思っていただければ、それほど間違いではないかと。

さて、古い書物に興味を持って読んでくださる方は、昔も今も意外に少ないのですが、興味を持って古事記を読んでいただくためにはどうすればいいでしょうか?
実は本物はすべて漢字です。しかも学校で習う漢文のように、レ点や返り点は書物によって有ったり無かったりで、今は使われていない漢字や、掠れていたり、潰れていたりで、読めない文字もあったりします。
その上、音訓混合文で書いてしまったものですから、余計に分かりにくくなっています。
これは痛恨事です。
そしてただひたすら漢字が続きます。

因みに、音訓混合文とは、音読みと訓読みが混じりあった文章のことで、例えば、日本書紀では『伊弉諾』と書いて『イザナギ』と読みますが、古事記では『伊邪那岐』と書いて『イザナギ』と読みます。
日本書紀の漢字を見てイザナギと読める方は歴史通の方ですよね。
一方古事記では普通に『イジャナギ』とか『イヤナギ』と読めませんか? 直接的に『イザナギ』でないのがミソですが、これも痛恨事として数えられるのかもしれません。
あの頃はこれで通用したのですが、まさか世の中がこんなになるとは思ってもいませんでしたから。

また同じように、日本書紀では『素戔嗚』と書いて『スサノオ』と読みますが、古事記では『須佐之男』と書いて『スサノオ』と読みます。
どちらが正しいとか間違っているということはさて置いて、読み易さを追求したつもりだったのです。
ところが結果的に余計に分かりにくくしてしまいました。申し訳ございません。
一言弁解させていただくとすれば、当時は「ひらがな」や「カタカナ」がまだなかった時代でした。

わたくしは漢文学者でしたから、漢文で書いてしまうのが一番簡単で早かったのですが、日本語が持つ音をどうにかして表せないだろうかと苦労に苦労を重ね、何とか固有名詞を中心に、音を表す漢字を当て嵌めることができたのです。
注釈も付けて分かり易くしたつもりでしたが、この注釈が曲者でして、注釈を注釈と思ってもらえなく、何と読んでどう解釈すればいいのか迷われる方が続出し、江戸時代の国学者・本居宣長もとおりのりなが氏は、古事記を読み解くのに三十五年もの歳月を費やされたということで、いまさらながら申し訳ないことと思っております。
まあ、そのお陰と言えばいいのか、本居宣長氏は全四十四巻の『古事記伝』を執筆されたわけですから、何が幸いするか分かりませんね。
ああでも、災いだったかもしれません。

これを聞いても、読みたいと思う方は、相当にマニアックな方か、とてつもなくストイックな方か、ちょっと危ない性癖の持ち主か、いずれその辺りの方でしょう。
それでは読んでいただける方が極端に減ってしまいますよね。
せっかく読んでいただける機会が与えられるのなら、多くの方に手に取ってもらいたいと思うのは作者のさがでしょうか。
失礼、わたくしは作者ではありません、あくまで編纂者です。
誤解されませんように。

実際はこんな感じで書かれています。
冒頭部分をちょっとだけ御覧に入れましょう。
『臣安万侶言。夫、混元既凝、気象未効。無名無為、誰知其形。然、乾坤初分、参神作造化之首。』
ではちょっと読んでみましょうか。

古事記に記された最初の五文字は何と読めばいいのでしょう?
『臣安万侶言』
これは分かり易いかもしれませんね。
『臣、安万侶が言います』
『安万侶』はわたくしのことです。
『臣』は『天皇の臣下』ということですし、それに『言います』より『申し上げます』の方がピッタリくるような気がしませんか?
最終的には、『天皇の臣下である安万侶が申し上げます』と読むのが理想かと。

では、次の文節は、どう読むでしょう?
『夫ヽ混元既凝ヽ気象未効。』
もう訳が分かりませんよね。
まるで謎解きです。

わたくしは、このように一文節毎に紐解いていくことに喜びを感じるのですが、今のようにすべてが進歩してしまった世界では、読んでくださる皆さま方に楽しいと思っていただけるかどうかは、また別の話。
それに、こんなことを繰り返していたら、いつまでたっても終わりません。ですから、現代にお住いの皆さま方に分かりやすいような日本語で、本来の古事記には書かれていないエピソードも、あの頃の記憶を頼りに、またはゲストをお招きして書かせていただこうと考えております。

古事記の冒頭には、何故この書物を作ることになったのかとか、どのようにして進めていったのかなどが『序文』という形で書かれていますが、これは本編完成後に書いたものです。
ですから、わたくしの苦労のほどを無理にお知らせする必要もないだろうと判断し、とりあえず削除し、本編からのスタートとしました。
ひょっとすると、本編の作業が終わってから、もう一度序文を書くことがあるかもしれませんが。
酔狂にも今の序文をお知りになりたいと思われる方は、未知なる扉が開くことになるかもしれませんから、ご自身で紐解いてみてください。

本編の始まりは天地の起こりからです。
そして、初代天皇がお生まれになるまでは、神々が活躍される時代の話が続きます。
皆さま方は、その時代のことを当然のことながらご存じないでしょう。
実を言いますとわたくしもその時代のことは知りません。
ですが、わたくしはその時代から口伝えに言い伝えられてきたことや、わずかに残る、当時に書かれた書物などを実際に見聞きしています。
ですから、皆さま方よりは少しは知っていると言えるのかもしれません。

今から一千三百年以上前に書かれた書物を、もう一度現代に甦らせることができるのか、それが私に課せられた使命のようです。
ですが、皆さま方には純粋に、本編とそれに付随するエピソードを楽しんでいただければ幸いです。
日本人であれば、ルーツともいえる古事記を含めた古文に勤しむ時があってもいいと思いませんか?

構成は、原文、現代語訳、注釈と備考、エピソードの四つを一つの括りとしています。
また、原文にはルビを振りました。
これによってずいぶん読み易くなり、意味も掴み易くなったと、少々自負しております。
因みに、原文には国立公文書館に所蔵されている、「訂正 古訓古事記」を基としています。

出来れば週に一、二度の割合で進めていければと思っている次第です。
そうですね、最初の投稿が木曜日ですから、毎週木曜は確定としましょうか。

前置きが長くなりましたが、そろそろ始めましょう。

和銅五年正月二十八日  正五位上 勲五等 から
令和五年正月二十八日  従三位  勲五等 民部卿 太朝臣安万侶

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