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『私は私に愛されていることを知る』が、全ての人の人生最大のテーマのような気がする。

昨日のnoteで・・・

これまでの現実は
自分が自分を愛してくれるか確認するために
自分に対してメンヘラしてた

という言語化を経て・・・

私は私の魂に
ずっとずっと愛されていた

ということに気付いた。

今まで、自愛・自分を愛するということは、自分を愛するという能動的なエネルギーだと思っていたけど、本当は、自分は自分に愛されているということを知る受動的なエネルギーによって成立するものだと分かった。


自分を愛さなきゃ。
は、条件付きの愛だし、義務的だし、焦燥感を生むし、結果苦しくなる。


私たちの人生の最大のテーマが、
『私が私に愛されていることを知る』

と謳ったのは、

欲求や望みを持つ根本的な理由が、《もっと自分を好きになりたい》であるからだと、腑に落ちたゆえ。

最愛の人を求めるのも、幅広い人間関係を求めるのも、十二分な経済力を求めるのも、ハイレベルな物を求めるのも、誰かより上に立つことを求めるのも、そうである自分なら自信を持って自分自身を認めることができると思っているから。

自分自身を認めるということは、自分を受け容れることができるということであり、つまり、自分を愛することに繋がる。


誰かに認めてもらいたいという承認欲求も、自分自身を認めたくて湧き上がっている欲求だ。
「私は誰かに愛される、大事にされる人間である」ことで、自分がここに存在していいのだと納得したいのだ。

人は自分を愛していい理由を、
現実・他者・物質から探している。


「自分を愛したい」から、外(現実)を見る。
自分を愛して良い理由が見つからないから、辛くなるし、苦しくなる。



人には魂というものがある。
そして、この魂が創り出した心身が「私」である。

かなりスピリチュアルな話になりそうだけど・・・

「私」は、魂に創り出された心身であることを理解する必要がある。

物創りが好きな人は分かるだろうか。
「創る」という作業は、非常にエネルギーを必要とする。
そして、その作品に対する「愛」がなければ出来ないことである。

「私」は魂が「愛」というエネルギーを存分に注いで創ったもの。
すなわち、「私」は魂の愛そのものであると、なんとなくでも分かって欲しい。

笑っても、泣いても、怒っても、転んでも、どんな「私」であっても、魂にとって「私」はとても愛おしい存在。

だって
魂の全エネルギーを使って作った
《最高傑作》が「私」だから


赤ちゃんの頃の私たちが「愛そのもの」の状態であるのは、これが理由なのだと思う。


人間である私たちは、成長するにつれて様々な経験を重ねてゆく。
様々な経験によって、「愛」から分離をしていく。
本音と建て前とか、嘘とかを覚えていく。

魂は、そんな私たちの人間としての成長を見守っている。
ここから私はまだ分からないのだけど、【愛からの分離】を経て、《愛への回帰》を辿っていく。

愛からの分離を体験しても、愛がなくなったわけじゃない。
ことを気付かせようとしているのか、なんなのか。

魂と私の分離⇒魂と私の再統合が最初から組み込まれているのか、
よく分からないけど、
魂は「君は私の愛そのものだよ」と伝えようと、憶い出させようと、あの手この手でアプローチしてくる。

それを私たちは、「不快」「嫌な現実」など判断する。
で、魂は「愛はそっち(現実)じゃなくて、こっち(内側)にあるんだって!ほら、そっちからは見つからないでしょ?どうしたら気付くの!」
と更にアプローチを強める。

で、私の場合は
これまでの現実は
自分が自分を愛してくれるか確認するために
自分に対してメンヘラしてた

ということに気付いた。


もう一度、書いておく。

「私」は魂が愛を注ぎまくった、最高傑作だ。

「私」という存在そのものが、「愛」である。
だから元々、「私」は「私の魂」に愛されているし、魂に望まれて生まれてきている。

これが腑に落ちると、外側のあれやこれやなんて、どうでもよくなる。
安心感が半端ない。

能動的に、自分を愛するのではない。
自分を愛そうとするのではない。

自分の魂からの愛を受け取るだけ。
分離していた魂と「私」を一緒にしてあげるだけ。


「私の魂」が「私」をずっと愛してくれていたことに気付くと、不足なんてなくなる。だって、「私」が奥底で求めていたのは、『自分を愛していい理由』だから。

ずっと求めていたものが、既に自分の中にあった。
世紀の大発見、くらいの衝撃だった。
私はね。



そして、これに気付いた今日。
さっそく、世界が変わった。
ふいにプレゼントや、お金を受け取った。
「え、いいの?ありがとー!」という軽やかな感じで受け取れた。

燻っていた「お金関係」に変化が見られたことは、私にはとても大きい。
すごい、すごい。こういう感じに現われるんだぁ。と、後に感じた。

「自分に愛されている」って、ちょっと変な感じに思うかもしれないけど、これはもう、揺るぎない絶対的な自信になっている。

私は、「私は私の魂に愛されている」と呪文のように唱えている。
嬉しすぎて。


気付きのプロセスは人それぞれだから、このnoteを読んでも【分からん】と思う人はいるだろう。
けど、「分かりたい・知りたい」という気持ちがあれば、あなたに必要なプロセスを辿って、自分の真実に辿り着く。

よく聞くでしょう。
ゴールだけ決めて、あとのプロセスは宇宙にお任せ!
って。

自分の魂に愛されているという自信があると、完全に魂(ハイヤーセルフとか宇宙とか創造主とか言い換えられる)にお任せできる。


私は今日、嬉しいが止まらない。
だから、「今」をちゃんと生きようと思えている。

「魂に愛されている私」の世界は愛に満ちているから、「今」を見逃したくない。「愛」を沢山見つけて、感じていきたい。



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