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『ツインレイ概念』の完全消去。

ふとね、改めて、俯瞰的に
私の中に在る『ツインレイ概念』を思い返してみた。

で、もう本当に必要なくなったから、消去する。


その経緯はね、
やはり今のパートナーとの関係性が大きい。


ツインレイとか運命の人とか探していたあの頃は、
なんていうか、どこかの誰かから配られた
《ツインレイチェックリスト》に○を付ける日々だった。

これは当てはまる。
これも当てはまる。
ああ、これも、と。

というより、
当てはまるというよりも、
当てはめたのかもしれない。

だから、当てはまらない項目があると悲しくなったり、信じたくなかったりした。


で、今のパートナーと付き合っていて、私は一切「ツインレイ概念」に当てはめようとしていないことに気付いた。

なんでだろと思って、考えてみたら、
私の中に在る、心地良い/落ち着く/素敵センサーだけを使っているからだった。


なんでツインレイと出逢いたかったのか。
なんで運命の人と出逢いたかったのか。

誰かを愛し、愛されたかったから。

だけど、もっと気持ちの純度を上げてみたときにあったのは、

心地良さ、安心感、落ち着くと感じられる人と一緒に居たい。
だった。

それは別に、
ツインレイじゃなくていいし、
運命の人じゃなくてよかった。


今の彼をツインレイ概念に当てはめようとするならば、
当てはめられる項目はたくさんあるけれど、
その必要は全くない。

どこかの誰かから配られたチェックリストなんかで○の数を数えるよりも、一緒に居るとき、居ないときの「感覚」が全てだから。

○の数が多いから安心!じゃ、ないでしょう。

一緒に居なくてもお互いを信頼できているから、愛されていると思えているから安心できるでしょう。

相手から与えられている優しさや、想い、ちょっとした気遣いや、言葉をちゃんと受け取って、私も返して、循環させていれば、不安・不満・違和感は生じないことを知った。


似た部分もあるし、異なる部分もある。
二人とも好きなものもあるし、どちらか一方が全く興味ないものもある。

こんなの本当に当たり前のことだ。
だって生まれも育ちも年齢も性別も違うから。

だけどそれを認められない自分が過去にいたのは、事実。

私は彼を通して、
異なる部分を受け容れるということや、
それは別にダメなことじゃないと知ることや、
違いをどうやって扱うのかを学んでいる。


彼の全てを知ろうとしなくていい。
でも知りたいことは聞いていい。
お互いの心地良い距離感が変動していい。
でも側に居たいと言ってもいい。


周囲はどうだろうか。
一般的にはどうだろうか。
なんてこともどうでもいい。

「私たちは」どうなのか。
「私たちは」どう在りたいのか。
「私たちは」どうしたいのか。

他者の目、他者の評価が全く気にならないわけじゃない。
だけど、重要なのは「私たち」の気持ちや在り方。


それもう、
「ツインレイだから」なんて全く関係の無いことでしょう。
人と人の関係性だから。

言葉を交わさないと伝わらないから、分からないから、私たちは人間らしく言葉を使う。
雰囲気で感じ取るものはあるけど、ちゃんと確認する。
そうすることが許される、嫌ではなく、当たり前である関係を創っている。


寂しいときに「寂しいね」って言える、逢いたいときに「逢いたいね」って言える関係でありたい。

どちらかが落ち込んでいるときには支え合いたいし、時には「しっかりしなさい」と言い合える関係でありたい。

これだって、
「ツインレイ」なんて関係無いでしょう。


「ツインレイ」だから大切だとか、愛している、じゃない。


彼だから好きだし、愛しているし、大切にしたいし、応援したい。
理由とかぶっちゃけ分からない。
ひとつ言えるのは、
私は彼の根っこの部分(本質)に惹かれているということ。

「過去の私だ」と思う部分もあるからかもしれないけれど。


だからね、
私は「ツインレイ概念」を私の中から消去する。

言葉や内容は覚えたままだと思うけど、今後私の人生に活用することはないんじゃないだろうか。

さようなら、ツインレイ。
さようなら、運命の人。

それよりもっと素敵な人と出逢えたことに、私は感謝でいっぱいよ。

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