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オリンピックって祭りなのですが、生きるためにする人もいれば、娯楽とする人もいる。どの仕事が大事かなんて決められない。

毎日同じニュースを数字だけ書き換えて流して、1ヶ月ごとに差し替えててもわからないかもしれない。

そんな、ニュースもまともに見られない、ニュースの内容ですぐに不快になりやすく、悪人が出てくる話が苦手で、不真面目な私の思うこと。

オリンピックのことを毎日やってるらしいけれど。

いろいろ考えたり辻褄合わせるよりももっと単純に見れば、

関係各国にワクチンが行き渡って接種がほぼ済んだ状態になってやっとオリンピックの開催を検討じゃ無いのかな?

エッセンシャルワーカーだけ来いと言う東京で開催でしょ。
関係者と一般市民は同じ人間で感染リスクは平等なのに。
現在、都内や観光地に行く人数が減らないのは、予防に対して曖昧だから感染者が増加して危機感に対しての説得力が、毎日減少してる。
ニュースが伝えてることにも、もう驚かない。「やばい」って口の動きにも慣れた。
自分だけは助かると根拠のない自信を持った人が、街に溢れてきた。
そんな心理にならなきゃこんな危ない世の中生きていけないもん。車も飛行機も乗れるのは、自分は大丈夫と思う本能持ってるから。

とりあえず毎日を乗り越えてるうちに、自分の歩いてる険しい道も普通の道に思えてきてしまうそれのおかげで生きていけるんだけど。その分危機感は薄れるものだと思う。悪気もなくそうなる。遅いか早いか怖がりか鈍感か少し人によって違うだけで。

こんなに心配症な私でも、どうしても行きたいものがあればなんとか工夫して予防をきっちりして出かけたいと思ってしまいそうになるもの。


街を歩く人たちは、ニュースに流れてる人混みは考えのない馬鹿な人に見えるけど、殆どの人たちは、それぞれが、自分はちゃんとやってるって気持ちなんじゃないかな。


アスリート自ら辞退したらどうかと思うけど、自己判断は、もう無理な事態になってるはずだし、勝つために生きてきてれば勝てるチャンスは逃さなくなるだろうし。優遇してくれるなんて言われた日には辞退なんかできなくなるよね。


彼らを迎える仕事も、必要な仕事だと言われればそうかもしれないと思うだろうし。その人たちに関わる人たちも、彼らが働くなら私たちもとなるだろう。


生きるために働いてるのはみんな一緒。

どれが必要でそうじゃないかなんて本人が一番わからないんだよ。


でもわかってることはある。

感染の危険性はみんな平等にあると言うこと。

ワクチンは、一部の人間だけが打ってもこのウイルスば撲滅しないという事。

感染者が1人でもいれば変異の可能性も出て、そのうち今のワクチンが効かなくなるかもしれない、ワクチンは万能ではない、ワクチンで安全性は保てない。一番良いのは!人と接触しないこと。


そのためにどうすべきなのか。

オリンピック

仕事

娯楽

どうすれば良いかなんて複雑に考えなくてもわかる。ニュースで理屈を聞かなくても知ってるよ。




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