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どちらか一方だけが悪いことはない。だれか一人に問題があるわけでもない。

国際協力の仕事をしていると、揉め事や言い争いに遭遇することが度々あります。

「あいつが悪い」
「学校が悪い」
「政府が悪い」

怒り、悲しみ。問題がどこにあるのか、想いの詰まった声はとても強く、まるでそれが真実であるかのように感じます。

でも、最近は答えを焦りません。なぜなら、どちらか一方、もしくは誰か一人だけが悪いと言うことは滅多にないからです。

#大人になったものだ

誰かと誰かが言い争っているとき、基本的にはどちらか一方からの主張を聞くことになります。大半の場合は、親しい方からの主張を聞くことが多いでしょう。

大事な人が泣いているのをみて、もしくは血管が切れるほど怒っているのをみて、まるで自分のことのように悲しくなり、怒れてくる。そんな経験、誰もあるのではないでしょうか?

でも、ある時に気がつきます。どちらか一方だけが100%悪いということは滅多にありません。もしくはある集合体において誰か1人(1団体)が悪いと言うことも滅多にないことを学びます。苦い経験と酷い失敗を通じて。

仕事だけではありません。家族、恋人、友人。身近な人間関係の中にも、同じようなことは起こり得ます。どちらも事実を語っていて、でも価値観はずれていて。どの団体にも正義があって、でも一つ一つが違っていて。

どちらかが間違っているわけではなく、だからこそ衝突や争いが生まれます。このことに気がつくまでにずいぶん時間がかかってしまいました。

だから、私は答えを焦りません。一方から主張の聞いたら、できる限りもう一方の声に耳を傾ける。集合の課題を聞いたら、マイノリティの声に耳を傾ける。これがようやくできるようになってきました。

大人になったものですね。

#大人になっていないものだ **

さて、ここまで分かっているのに、誰かに怒りや悲しみを抱くのはなぜでしょう。主語はもちろん「私」です。

自分が怒りを感じるものには、自分にも何らかの原因がある。自分が悲しいと感じたと言うことは、相手も悲しいと思っている可能性が高い。とても簡単な話なのに、いざ実践できないものです。

まだ年齢が足りないのかもしれません。成人になっても、30歳になっても、突然大人になれるわけではありません。それを言われるのはやっぱり悔しいですが、無理して背伸びしても足がつるだけです。

だから、受け入れることにします。背伸びする代わりに足を地につけて、前や上だけでなく足元をしっかり確認して、自分がどんな位置に立っているのか、周りからどんな風に見えているのか、もっと考えてみます。

こんな風に語ってしまうあたりが、まだまだ大人になれていない証拠な気がしますが、これが素直な気持ちなのですから仕方ありません。

大人になっていないものですね。

最後に

今回の記事は、noteの企画「 #大人になったものだ 」に乗っかった記事になりますが、ハッシュタグを追ってみると、色んな人たちの想いや物語が絵が変えており、胸がくすぐったくなったり、ザワザワしたりもしました。

成人式の日に『拝啓 20歳の自分へ。笑われるくらい大きな夢を、声に出してくれてありがとう』という記事を書きましたが、じゃあ自分が大人になったかと聞かれると、自信を持ってYESとはやっぱり言えません。

それでも、「 #大人になったものだ 」と言えることが来年1個でも増えるよう、こうやって気づいたことをnoteにどんどん書き出していこうと思います。

よかったら、ぜひご一緒に。

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