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第2章 教えることで学ぶ 2-1.つづきのそれから

大学生版の「書く力をつけるプログラム」を終えて、
プログラム自体はスムーズに思うとおりに進み、
ある程度の、期待通りの成果を得た。学生からの感想の感触もよい。
だが、課題もみつかった。

今回の受講生はT先生のゼミ生が多数いたが、その直後のゼミの発表は変わり映えがなく、うまくいっていないということを耳にした。
今回のプログラムとは何の関係もないが、少し気になる。
書く力をつけるプログラムでは、ブラッシュアップの仕方やモノの見方、発表の仕方のグループワークもやった。
そのやり方を使えば当人たちの自主性があがるだろうにと思われたが、
さすがにすぐすぐ他のものに使えるほどにはなっていないということだ。
今回4日間かけたが、形式知が形式知のままで終わっている可能性があることだ。
まあ彼らにそこまで期待するのは高望みなのだろう。
4日間とはいえ、1日90分だ。90分×4回を言われるままにやっただけと言えば、その通りだった。

彼らの学びを、この後どうしていけば、彼らの形式知が実践知になるだろうか。使える学びには、どうしたらなるのだろうか。

私の中に、すぐにこの言葉が浮かんだ。「教えることから学ぶ。」

自分が学んだことを、誰かに教えるという形で、学びを再度腑に落とす。
このやり方なら、彼らに私が伝えたかったことを、彼ら自身が自分の手でつかみ、腑に落としてくれるのではないか。

じゃあ、どうやって。
これもひらめきだった。
「こどもたちに教える」のはどうだろうか、と。

私には当時、小学6年生の娘が居た。
プログラムで大学生に言った言葉がある。「小学生にわかるくらいの言葉で書いてみて」と。

小学校でも、みんな同じような文章を書く状態があることは、こどもの参観で学校に行った時に見る掲示物等で感じていたところだった。

小学校高学年くらいの子たちにわかるような説明をする経験を、彼らにさせてはどうだろうか。
今回ペアでインタビューワークをやったように、大学生が小学生に質問する役を担い、小学生たちのその子らしさを引き出すことができたら!
これって、大学生と小学生の異世代交流にもなるじゃないか!

私の頭の中に、小学校に大学生たちが入り、小学生と大学生が笑い合いながらやり取りしている様子が、ぱーっと浮かんできた。
これはいける。
やってみたい。

早速T先生にイメージを伝え、まずはと娘の元担任のH先生に相談してみることにした。H先生は、国語科の先生。社会人経験があり、いろんな試みに興味を持たれる先生で、私はとても信頼している。
大学生の今回のプログラムのことを話し、「このこども版をやってみませんか?」と話を振ってみると、結構乗り気な感じで話を聞いてもらえた。
この話をしたのは12月頭で、大学生プログラム終了後数日経ったくらい。
卒業文集にはちょっと間に合わない時期なのを残念がってらした。

その後、学年学校での協議がなされ、結果、5年生の修了文集を書く時期にH小学校に大学生とともに入ることが決定した。
12月の末、小学校の先生方の業務最終日のことだった。

12月の頭が大学生プログラムの最終日だったことを考えると、短期間で思いがけない方向に事が運び始めたことに、改めて驚きとワクワクを感じていた。動く時にはこんな風に一気に風が吹くのかもしれない、そう思った。




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