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ぜんぶエンタメの枠で切り取って押し込んで。

昨日、バイトの後輩に「Jr.の頃から応援している子たちがデビューしたときってすっごく嬉しいんでしょうね!!」と、目を輝かせながら言われた。確かにすっごく嬉しい。ずっと好きで見ていた子達が‟デビュー”という一つの夢を叶える瞬間、それこそ言葉に言い表せないくらい、「嬉しい」なんかじゃ足りないくらいの、感情が沸きあがってくる。それは、Jr.担にしか経験できない形の喜びかもしれない。

でもね。それまでの道のりは、もちろん楽しいこと嬉しいこと幸せや感動も山のようにあるけれど、そればかりじゃなくて、悔しさに泣いてしまう日だって、不安に溺れそうになる日だって、どうしようもないもどかしさや不甲斐なさに悩んでしまう日だってある。そのほとんどは、自分一人でどうにか出来るものではなくて、泣いたって悩んだってどうしようもないことばかり。それでも、大好きだからいつまでも幸せでいて欲しくて、大好きだからいつも笑っていて欲しくて。こんなにもかっこよくて可愛くて素敵な人たちなんだって、もっともっと沢山の人たちに知って欲しくて。そのために私に出来ることって何なんだって、グルグルと考えてしまうんだ。

好きな人の幸せを思い、時に悩んでしまうことは、何もJr.担に限ったことじゃない。でもやっぱり色々とね。色々とあるからさ。デビュー組も含めると、かなり長いことジャニオタをやってきた。Jr.担歴だってそれなりに長くなってきた。だけど未だに一喜一憂してしまう。不確かな世界も、儚さも、それすらも含めてJr.担の醍醐味だよと笑い飛ばせる日は来るんだろうか。なんて、考えてしまう日もある。

まあ、言わなかったけれど。言えないの。苦労話やお悩み相談をするのはあまり得意じゃない。

オタクの私がいつも楽しそうで幸せそうに見えているなら、それが良い。裏側なんて知らなくて良い。「RIDE ON TIMEか??こんな所で担タレか??」なんて、笑い飛ばしてくれたら良い。自分の中で整理が付いた頃に、私なりにネタにしてぽろっと溢すから。それまでは、ずぶずぶのジャニオタ楽しそうって思いながら、私のこと見て笑っていてくれて良いよって思う。

宮近くんたちが笑っていると嬉しくなる。どんな時も大好きだと胸を張って言いたいけれど、何だかんだ、腰を折って膝から崩れ落ちそうになりながら大笑いしているのを見ると「ああ、もうこの世界が堪らなく愛おしい」って思えちゃうくらい嬉しい。それは、私の周りにいる人たちに対しても同じで。バイト先の皆や、研究室の皆、地元の友達に家族に。笑っていてくれると嬉しくて安心する。それが私発信の笑顔だったら、これほど幸せなことはないなと、わりと小さい頃から思っていたような気がする。

知らず知らずの内に、自分の人生を一種のエンタメみたく楽しんでいた。相変わらずバイトに勤しむ年末年始。(大晦日ギリギリまで働いて、カウコンに行った年もあったな…)「休みが欲しいです」という日は、大抵コンサートか舞台に行っている。「○○くん気になるかもしれない…」と言った一週間後には、すっかりハマってしまっている。大真面目に勉強して、働いて、オタクをしている。

これから場所が変わっても、私は変わらず、自分の人生をエンタメの枠に収まるように切り取って押し込んで、良い感じに話して笑ってもらうんだろうな、なんて。クマさんに囁いている宮近くんを見ながら、そう思った。