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モノを「モノガタリ」として消費すること


先日、ツイッターで以下の様なツイートが多くの人の心を掴み、拡散されました。
これは過って海に落としたiphoneがバッテリーが尽きるまでに撮った動画が
icloudによってPCに送られてもの、と言う内容をiphoneへの謝罪を込めて呟いたモノです。



肝心のツイートはすでに消されていているのでスクリーショットしか有りませんが、ツイートで語られてるムービーは見ることができます。
これです。

薄々気づいている人がいるかもしれませんが、
これは典型的な「パクリツイート」「フェイク」です。
元の映像は有名な水中カメラマンが撮った映像であり、この映像を剽窃して、「水没したアイフォンが最後に送った映像」と言うストーリーを加えたモノです。

このツイートは「デマ」や「フェイクニュース」の類と言うより、バズりを狙ったモノでしょう。
もちろん人の撮った映像を勝手に使うことは許される事では有りません。

しかし僕が気になったのは、このフェイクツイートがバズった理由
つまり「「ケータイ」と言う「モノ」がまるで意思を持ったかの様に自分の末期の映像を「持ち主」に届ける」と言うストーリーに多くの人が疑う事なく受け入れたと言う事です。

この一連の流れで思ったこと
人はモノをある種「擬人化」つまり意思や感情を持ったものとみなしたい欲求が有り、そしてその擬人化した「モノ」とのストーリーつまり「モノガタリ」を求めているのではないか?
と言うことです。

似たような話はたくさん有ります。
例えば、「おおきなのっぽの古時計」のように持ち主が存命の時は一切故障しない時計が持ち主が亡くなった瞬間に壊れて動かなくなった。といったエピソード
客観的に考えれば、たまたま時計の寿命と持ち主の寿命が合致しただけですが、
人は「古時計が持ち主の死をきっかけに自分で役目を終えた。」と言う「モノガタリ」を勝手に想像、消費します。

これくらいならまだ良いのですが、悪質な場合、オカルトや詐欺商法に発展するケースも有ります。
有名な例として
花に良い言葉を投げかけると綺麗に開花し、悪態をつき続けると枯れてしまう 
食品を発酵、熟成させる時に特殊な音を聴かせると味が良くなる。
などですね。
(氷の結晶とかもそんなエピソードがあった気がします。)

こうしたモノに対する「擬人化欲求」、モノに対する「ストーリー」の消費
と言うのは人がモノを生み出し、モノとともに生活する限りは普遍的に存在する欲求なのだと思います。
そしてそれをうまく演出することはある種の「デザインソース」なのではないかと思いました。

プロダクトに応用するとすると、
例えばですが、ケータイにちょっとした「人間臭さ」を付与すること。
過って落とした時に「痛い」とか文句を言い出したり、
充電がなくなったら「お腹すいた」みたいにコメントしてくれるものがあったら、
人は面倒臭いと思いながらもより愛着を求めるのではないでしょうか?

オチは大して有りませんが、ちょっとデザインとしてのタネとして書かせていただきました。

ではでは

動画も含め、建築を「伝える」「教える」コンテンツ、場を作る事を目標としております。よろしくお願いします。