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いきると言う事

無くしたくないものなんか 何もないから
できるのだ と 誰かが言った

私には 無くしたくないものがある
だから 出来ることがある

優しくなれる
耐える勇気が湧いて来る
大切に思う心を知る
愛おしむ喜びを知る

だから 歩ける…どんな道でも…

「ならば、時に それは 枷にはならぬか」
また 誰かが言った

私にとって それは 

枷とは言わず「歯止め」という
そして 迷いの時 指し示す「導(しるべ)」となる

曲がりくねった道  迷いながら
転び 傷つき 汚れ ボロボロの心を引き摺っても

歩む事を辞めない「力」になる

この心ある限り 一人ではないと信じられるから
魂の奥に息づく 大切なものを護り抜く為

たとえ どこで息絶えようとも 悔いのないように

今を 歩く ……それは

誰から教わったとも無く
語り継ぐでも無く …… そうして
乗り越えたものは

礎(いしずえ)となり 鎹(かすがい)となり
そこに 揺るがない器を築き
繰り返し また 繰り返され

古より 先人達から 脈々と 紡がれ来て…今
この身として 在ること…それを

「生命」と呼ぶ
「生きる」と言う

今 同じ時を 並んで歩く人たちよ
後から続く 人たちよ

みんな みんな

こころ 生きて 在れ

今を 活きて 在れ

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2007.3  詩:Mizuki「想いつれづれ」より

画像: 奈良県 当麻寺 楼門

拙い文章です。サポート頂くことは考えておりませんが お心遣い下さった方へ、心から感謝申し上げます どうかこれからも暖かく見守っていただけますように。