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宮本浩次「ロマンス夜」  〜違和感の扉の先に〜

好きって強い呪いだから自分では解けないんですよ

「推しが武道館いってくれたら死ぬ」平尾アウリ

 このセリフに強く共感できる私は幸せ者だと思う。そして、そんな思いをもって先日、宮本浩次のコンサート「ロマンスの夜」に向かった。昨年暮れの公演予定が延期となり、年を越しての振替公演の開催。時節柄、体調に不安を覚えることも多く、自分も含め参加する皆が『万障お繰り合わせの上』での参加なのだろうと、しみじみ思ってしまう。

 最上階のバルコニー席の先端から見渡す会場は、まさに劇場といった感じで、開演前の場内には上品な音楽が流れていた。鑑賞という言葉が相応しい空気感のなか、定刻過ぎに暗転し、何処かに迷い込んだかのような雑踏の効果音からの開演となった。1曲目の「ジョニィへの伝言」で宮本浩次の声を聴いた瞬間、無事にこの日を迎えられたという安堵感と、圧倒的な歌声に感極まって涙が込み上げてきた。全身から発しているような声を、こちらも耳だけでなく体当たりで受け止める。不思議なことに、肌でも確かに何かを感じている感覚がある。この体感も彼のコンサートの魅力の一つだ。「春なのに」、「まちぶせ」、「First Love」と歌唱や、演奏はもちろん、1曲、1曲、演出やライティングも世界観をもって丁寧に作り込まれていた。そしてなにより、宮本浩次のビブラートを効かせない、真っ直ぐに届く厚みのある安定感抜群のロングトーンには惚れ惚れしてしまう。

 こうして、彼のコンサートを着席してゆったりと鑑賞する日が来るなんて思ってもいなかった。そして、着席しても宮本浩次の声をゆったりと聴くことなど出来ないことも分かった。優雅に背もたれに身体を預けて聴くつもりが、余すところなく受け取りたいという欲深さから、気づくと高校野球のベンチに座る監督のように、グイグイと前のめりになって、睨みつけるように聴き入っている。

 後半に入り、じっくりと聴かせる大人のコンサートで終わるのだろうと思っていたところ、「異邦人」あたりから不穏な気配を感じた。そして、「ロマンス」「DESIRE-情熱-」「飾りじゃないのよ涙は」と続く3曲は一転してロックの様相となった。観客を焚きつけ、煽る。ロック歌手ならではの瞬発力は抜群で、一気に会場は熱狂の渦となった。こんなカバーコンサートってアリなの?と思ってしまうほどに予想を超えてくる。陶酔、歓喜、熱狂。慣れたと思っていても、実際は息の詰まる今の生活のなかで、こうした躍動感を味わえるのは、この上ない喜びだ。そして、普段は聞き分けの良い子供のように一人で楽しんでいる音楽を、熱狂と共に皆で共有できることも嬉しかった。

 アンコールとなり、カバーコンサートの中で唯一のオリジナル曲「冬の花」には他のカバー曲と同じように、昭和歌謡の名曲のような風格を感じた。ちょうど4年前に発表された当時は、この曲調に強い違和感を持ったことを記憶している。それも今となると、ここに至る布石だったようにも思える。宮本浩次に感じる違和感は、いつも何かしらの扉になっている。そして、そこには必ずまた新たな魅力が待っていることを今回のコンサートで確信できた。

 また、違和感といえば「愛の戯れ」は外せない。アルバム「秋の日に」の中でも一番好きな曲だ。初めて聞いた時、『何だかおかしい…』と違和感を覚えた。悲しい歌詞が開放感を持って軽やかに歌われている。しかも、言葉も分からないのに音、声、リズムだけで純粋に楽しめる洋楽のようなスケール感がある。自然体で伸びやかな声がとても心地よく、宮本浩次の声の魅力を最大限に活かし、洗練されたグルーヴ感を漂わせる。この卓越した軽みが、また何処かの扉を開くかもしれない…。そんなことを予感させる1曲だった。

 コンサートはどれも特別だけど、極まれに『立ち会ってしまった…』と思うような時があって、今回の「ロマンスの夜」はそんなコンサートだった。プロのチームワークが結実したような綿密でドラマチックな演出を施された歌唱はまさにザ・エンターテイメントそのものだった。また、それを壊しにかかるような、宮本浩次の規格外でダイナミックな表現力も存分に味わうことが出来た。このふり幅の大きさからも、やっぱり甘美なロマンスの夜では留まらず特別な夜となった。


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