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ブギウギ音楽事情

毎朝の「ブギウギ」が楽しみだ。笠置シズ子の生い立ちを辿る朝ドラから、日本の大衆音楽の成り行きを見ている。笠置+服部のブギウギはビートルズ世代の私にも通じるパワーがある。「ブギウギ伝説」「ジャズで踊って」といった書籍を読んでみると、高度成長時期、ビートルズに感化された若者同様に、戦前戦後もジャズと呼ばれたアメリカのポピュラー音楽に感化された若者たちが大勢いた。時代は異なるものの、人々の音楽への情熱は変わらないものだと再認識している。

音楽は耳に聴こえるが目には見えない。だからこそ時代や人々の気持ちに自然に寄り添う。私は訳も知らずにFEN(米軍駐留放送)をラジオでよく聴いた。FENのAM電波がやけに明瞭だったこともあるが、生きの良いディスクジョッキーや未知の音楽が面白かった。ラジオからは豊かで自由なアメリカの生活文化が流れ出てきた。フットボールや野球の中継ではアメリカの空気感が伝わり、アメリカンドリームを感じることができた。

戦前の音楽メディアといえば映画やレコードそして昭和初期に始まったラジオ放送だった。限られた(裕福な)都市生活者のライフスタイルだった気がするが、新しいものに目が無い感度の高い若者は夢中になった。遠く離れた生きのよいアメリカで生まれた大衆音楽は、ほぼ同時に日本で演奏されていた。楽譜や音盤が客船の楽団や音楽好きによって日本にもたらされたという。新たな音楽を渇望する情熱は今も昔も変わらない。

「ブギウギ」笠置シズ子はレヴューの世界から歌の世界に入るが、ジャズと呼ばれたアメリカ音楽はダンス音楽として人気があった。おそらく4ビートの人気だったのではないか。ブギウギの作者服部良一はアメリカ音楽を取り入れた独自の創作を開花した。これがそのまま発展していれば、日本の大衆音楽の歴史は少しい異なるものになった気がするが、音楽世界も戦争という暗く悲しい歴史を素通りすることはできなかった。

戦時下では陽気に踊って…とはいかなかった。国民皆皇民となり、軍歌の時代になった。戦後を象徴する歌として「りんごの歌」は有名だが、その後「りんご」路線は花開かず日本では演歌が主流になる。「りんご」は戦争終結の束の間のあだ花だった。経済復興したものの大衆は複雑な暗い思いを深層に隠していた。戦争で失い傷ついた心情はそう簡単に蘇生するものでは無かった。それが演歌というものに昇華しのではないか。大衆は素直に明るいアメリカ音楽を取り入れることはできなかった。

しかしながら、戦後生まれの私などは演歌にシンパシーは感じず、もっぱら洋楽に親しんだ。演歌的なものは私には馴染めなかった。ところが服部良一など優れた戦前戦後の歌には惹かれる自分がいた。そのあたりを意識させてくれたのは矢野顕子、細野晴臣や大瀧詠一あたりだったか。音楽の世界もやっと戦後の呪縛を取り払い、洋楽と邦楽の垣根を取り払った。「ブギウギ」を機会に、日本の大衆音楽のルーツにもっと日が当たると良いと思う。


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