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Martin B style マンドリン 1922

マンドリンをやってみようか、そう思った。長年ギターに親しむ私だが、他の弦楽器を試みたことがなかった。そういえば、リヴォン・ヘルムはドラムセットを離れたときにはよくマンドリンを手にしている。ベースメントテープスのレコードジャケットではマンドリンをフィドルに似せて抱えるディランがいる。おそらく同じだろうマンドリンを抱えるリヴォンの写真もある。 調べてみると、それはマーチン社のフラットマンドリンだった。マンドリンと言えばギブソンが人気で高価だが、マーチンのマンドリンはやや安価で手

    • Gibson L-37 1940

      何やらよく分からないが古いFホールのギターがジャンクとしてネットオークションに出ていた。ヘッドのマークはGibsonのように見えるが、PC画像ではよく分からない。ボディー表面は上塗りされているのか、それが失敗したのかボロボロの雰囲気だ。毎日見ていると、だんだんその気になってきた。こいつを蘇らせたら面白い。思い切って落札した。 ケースは無くプチプチシートにぐるぐる巻きにされたギターが届いた。どういう意味があったのか、ネックもボディーも中途半端に塗装されていた。ヘッドのGibs

      • Martin 0-17NY  

        神保町で友人と待ち合せた。飲み屋に行く前にギター弦を買いたいという友人に連れられて、イシバシ楽器店に入った。魅力的なギターが並んでいる。手頃な価格の 0-17NYに惹かれた。トップにひび割れがあるため安価だという。手に取って試してみると音に支障はなかった。ひび割れは注視しないと分からない程度だ。0-17NYはギター黎明期のクラシックで端正な姿をしている。最もマーチンらしいギターだという人もいる。私はマーチンを1台持っていたが、2台目は0-17が良いと思っていた。出会いは突然や

        • Guild D-35

          癌と戦っていた友人が亡くなった。遺言により、彼の愛用ギターが私の手元にやってきた。長く生きているとこういうこともあるのかと感慨深かった。生前の友人から、いざという時には受け取って欲しいと言われていたが実感はなかった。いくつかあるギターの中にGuild D-35があった。1970年代までのGuildは、マーチンやギブソンと並ぶ高級ブランドだった。私はウッドストックフェスでリッチー・ヘブンスがかき鳴らす姿に度肝を抜かれたが、それがGuildだった。堅牢なギター!そういう印象だった

        Martin B style マンドリン 1922

          フラットマンドリン Gibson A-40

          ネットオークションで好みのフラットマンドリンと出会った。A型でFホールのフラットマンドリン。トップのブロンド色が魅力的なGibson A-40 は1950から1970年に販売されたビギナー用のフラットマンドリン。経年の古びた姿がなんとも魅力的に見えた。 首尾よく落札すると、ガムテープにくるまれた梱包が届いた。ステッカーだらけの古びたハードケースを開くと、ほこりにまみれたブロンド色の姿が表れた。おそらく半世紀の間に複数人のプレーヤーの相手をし、何の因果か日本に飛び、それが私の

          フラットマンドリン Gibson A-40

          ブギウギ音楽事情

          毎朝の「ブギウギ」が楽しみだ。笠置シズ子の生い立ちを辿る朝ドラから、日本の大衆音楽の成り行きを見ている。笠置+服部のブギウギはビートルズ世代の私にも通じるパワーがある。「ブギウギ伝説」「ジャズで踊って」といった書籍を読んでみると、高度成長時期、ビートルズに感化された若者同様に、戦前戦後もジャズと呼ばれたアメリカのポピュラー音楽に感化された若者たちが大勢いた。時代は異なるものの、人々の音楽への情熱は変わらないものだと再認識している。 音楽は耳に聴こえるが目には見えない。だから

          ブギウギ音楽事情

          海外旅行パッキング

          海外といっても香港と中国だが、頻繁に行き来した時期があった。出張する度に生活用具を小型のスーツケース詰めるのだが、だんだん手際がよくなる自分に気が付いた。普段は旅行するにしても妻任せだから、出張旅行のパッキングは何か新鮮だった。出張先で利用するコンセントアダプターや小型の髭剃りは、忘れないようにスーツケースに入れっぱなしになった。 あるとき無印良品に旅行パッキン用の小物があることに気が付いた。小型のポーチやメッシュのバッグは使い勝手が良さそうだった。海外旅行を経験した商品開

          海外旅行パッキング

          ゴルフの思いで

          現役を退くというと大げさな気がするのだが、長年お世話になった会社を引退するのと同時にゴルフも止めることにした。老後の交遊にと揃えた道具もゴルフ好きの妹の旦那に全て譲った。何だかすっきりした気分だ。私はゴルフに熱心ではなかった。故に下手でもあった。それなのにゴルフとの思い出の記憶は残っている。 私はゴルフに興味はほとんどなかった。それが香港に駐在し、そういうこともできないと困るかな?と思うところから始まった。日本から来た顧客がゴルフをやろうと言うのだ。私はやったことがないと正

          ゴルフの思いで

          病院

          病院を老人の遊園地にするな、と私も思っていた。ところが自分が老人になると心境に変化があった。病院にはなかなか捨てがたい魅力があるのだ。勤め人の時代は病院に時間を獲られることが嫌だった。ところが現役を引退し時間に余裕ができると、実に非効率的な病院システムにイライラするどころか、非日常的な病院の時間も悪くないと感じるのだ。逆にたっぷりある時間的余裕を読書やコーヒーで過ごすのが有意義だとさえ感じる。病院を訪れる様々な人を観察するのも面白い。今どきの大病院にはカフェの一つぐらいはある

          九記牛腩

          10年ほど前か、香港の友人の車で香港島西環あたりの山側を走っていた。坂が厳しい上に一方通行の迷路だが、友人は香港映画さながら器用に急ハンドルを切っていた。突然車を止めると、麺を食べないか?もの凄く美味い店があるという。「九記牛腩(ガウゲイ)」を通過したが、店に並ぶ人が少ないのでチャンスだと思い立ったのだ。 「九記」は既に超有名な麺屋だった。香港人はもちろん、大陸の中国人観光客がこぞって並ぶ。いつも50mぐらい並んでいた。牛バラの煮込み麺(麺は卵麺の平打ち)が人気だが、カレー

          九記牛腩