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Guild D-35

癌と戦っていた友人が亡くなった。遺言により、彼の愛用ギターが私の手元にやってきた。長く生きているとこういうこともあるのかと感慨深かった。生前の友人から、いざという時には受け取って欲しいと言われていたが実感はなかった。いくつかあるギターの中にGuild D-35があった。1970年代までのGuildは、マーチンやギブソンと並ぶ高級ブランドだった。私はウッドストックフェスでリッチー・ヘブンスがかき鳴らす姿に度肝を抜かれたが、それがGuildだった。堅牢なギター!そういう印象だった。

小ぶりなギターが好きな私は、いわゆる大型のD(ドレッドノート)タイプのギターを持っていない。低音がズシンと響く大きなDボディーは魅力的だが、部屋でつま弾くだけの私には一回り小さなボディーで充分な気がした。また、大きいDのボディを抱えるのは無理があると思っていた。しかしながら、ときおり手にする機会があると、Dもいいなぁと思った。特にマーチンD-45の低音の響きは特別だ。私らしいDはマーチンD-18のヴィンテージだと夢想していたが、もう高価の花になってしまった。

そこに現れたのが、このGuild D-35だった。友人はクラシックギターを愛用していたので、guildはあまり使われていなかったようだ。友人がアメリカ西海岸に留学したときに手に入れたと聞いたことがあった。古い弦を新たなものに交換し、チューニングした。やけにペグが軽く回る。堅牢なギターとはこういうものかと感心した。私の持っているギターとは違う。Guildの響きはやや硬いガリガリした感じで、マーチンのマイルドな感じとは明らかに違う。どちらかといえばギブソンに近い。硬いボディーはもっと弾き込む必要があるのかもしれない。

何かもっと手を入れてやりたいが、物を丁寧に扱う友人のおかげでメンテナンスは不要だった。Guildは勝手の分からぬ我が家にきて、私の「物言わぬ友人」のラインナップに並んだ。居心地が悪いだろう。大きなボディーは隠しようもないし、突然オーナーが変わったことを恨んでいるかもしれない。私としてもどう対処してよいものか戸惑いがある。ただ友人の形見だ。大切にしたい。そして私にとっては初めてのDだということ。そのあたりをどうするか、どうなるか、友人との思い出と共に楽しみたい。


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