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私がインスタやTwitterをやらない理由を棚卸しする

私はnote以外のSNSをやっていません。(あとLINEは使うか。)
最近は新しいコミュニティに入るたび、
「インスタやってる?」「やってない。」「えっ!?!?珍しい…」というやり取りをします。
「お米食べたことある?」「ない。」「えっ!?!」
みたいな流れかと思うので、自然な反応かなと思います。
中高生の時はずっとTwitterやってたし、インスタもやっていたのに、
どうしてスッパリ辞めたのか。今も全く復帰する気がないのか。
周りに驚かれる度に考える、聞かれもしないその理由について改めて考えてみました。


もともとオタクだった

中高生の時は散々アニメや声優さんを見ていました。
それがなんとか学校へ通い続けるための支えでした。
新しい情報を手に入れるためには、ツイッターは欠かせなかったし
ずっと見飽きない世界がそこにはありました。
そこそこのアクティブユーザーだった気がしますが、
辞める予兆やきっかけはずっとあったようです。


辞めてみたきっかけは

①スマホに時間を割くことが苦しい
大学受験を見据えたり、もっと手前の定期試験を控えたタイミングでは、
スマホを見る時間をいかに減らせるか、でも見たい、いじりたいの葛藤が
ものすごく苦しかった。触る時間が経てば自分を嫌いになる。
でも周りは全然触れてるみたい。当時まだ辞める度胸はありませんでした。

②SNSは自分の偏見を更に固める可能性があると知った
大学に入る少し前。NHKの『欲望の資本主義』という番組で、マルクス・ガブリエルという哲学者がSNSについて語っていました。その中で彼は、SNSは偏見を強固にするもの、自分の考えや気持ちがSNSでは他一般にすり替えられることがあるみたいな話をしてました。その時に思ったのは、じゃあ辞めた時に私は何を選んでいくのかという実験をしたいということでした。

③ 本当に求めていた答えはいつもSNSには無かった
昔から家族の問題に悩んでいた私は、思い出して凹む度に、たくさん検索しては答えがないことに絶望していました。救われないなぁと。
そんな事を繰り返す内にようやく気づいた。
自分で自分の答えを見つけ出すしかない事。自分の在り方や生き方に対する答えは、他力ではなく自分しか見つけ出せないことに気づきました。

④自分以外の誰かの目線が常に内にいて、誰のために何をしているのかわからなくなった
何かツイートする時に、(…これ言ったら嫌な気持ちになるかな?あんまり面白くないかな?)と考えすぎてしまう自分が現れるようになりました。
すごくこれが辛かった。自分のために生きられない、自分への責任を逃れて他人へ責任を感じすぎるこの感覚が違和感になっていきました。
いつも私ともう1人別の人がひょっこり居座って、囁いてくる感覚。
高校生の終わり頃、これに気づいて自分は楽しくないのだとようやく理解できました。


辞めてみて

①流行に対する知識が皆無
流行に対する知識がゼロになりました。
じゃあそれで不便かというと、そんなことはなく。
「これ知ってる?」と聞かれて「知らない、教えて」で済むことだらけ。
私は野球とハロプロが補給できればそれでよいのだと。
足るを知るにも似た感覚になりました。

②スマホを触るときの自分への嫌悪感が減った
単純に触る時間が減りました。
かつ、スマホを触っても罪悪感を抱かず生活するようになりました。
自分に必要なアプリしか入れていない、この本当につまらないスマホは
現実世界よりずっと怠惰で、狭いこぢんまりしたものになりました。

③自分の中で思考を巡らせるようになった
囁いてくる人が私の中から消滅して、自分に責任を負えるようになってから自分をちゃんと守ったり、課題を課せるようになりました。
私しか私の気持ちを知らないから、誰にも委ねられない。
私は私が大好きです。

④嫌いやどうでもいいがはっきりし始めた
なんとなく受け入れたり、こう思うのはダメだとか、
ありもしない道徳に私の思考が沿っていくことがなくなりました。
嫌なものは嫌とか。これ今の自分には大事にできないわぁとか。


やった方がいいのかなと思う時もある(けど、やんない)

私は哲学対話という場に参加する事が多々あり、自分でも開く機会を持ちたいなと思うのですが、自分から情報を発進する場所があまり無い。
それはマイナスかなと思うけど、noteであったり、他のやり方を模索してみるのもいいなと思ってます。
なんか、「ええSNSやんなきゃいけないの?いいよ他の方法探すわ」と思ってしまう。めんどくさがり屋でもあるんですよね。


棚卸しして

これは良し悪しの問題を言いたかったのではありません。
私はSNSの扱いが苦手だったのだなと思います。
周囲はみんなインスタ交換しよが多いので、その主流からわざわざ離脱しに行く必要も感じません。
つまり「辞めよう!」とトライしすぎる必要は無いと思うと、言いたいのです。
ただ気づかず自分を苦しめることもあるんだなぁと実感した本稿でした。


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