現代宮城風土記#20:仙台のアーケード商店街


仙台市中心部には6つのアーケード商店街がある。生活用品を販売するショッピングモール、観光スポット、仙台駅前から中心部の繁華街や官庁街への通路など様々な役割を担う仙台市中心部の顔。

中央通

仙台市中心部にある大通り。藩政時代には西から順に大町、新伝馬町、名懸丁と呼ばれた地区で、現在はそれぞれ別の商店街を形成している。また一番町(旧・東一番丁)から仙台駅前までの区間が歩行者専用道路でアーケード街になっている。仙台七夕まつりのメインストリートの1つ。

ハピナ名掛丁

仙台駅に最も近いアーケード街で、多くの飲食店が並んでいる。仙台城下では名掛丁と呼ばれた地区の西半分。

ハピナ名掛丁

名掛丁

仙台藩の家臣の中で伊達氏が特に取り立てたものの子孫である『名懸衆』が名前の由来。現在は仙台駅およびJR東北本線の線路で分断されているが、線路の東側にも続いていた。島崎藤村が詩集『若菜集』を執筆した旅館三浦屋は、現在の線路東側にあった。

ハピナ名掛丁の主な歴史

1887年:鉄道の開通により東西に分断
1964年:旧名掛丁西側に初代アーケード完成、歩行者専用道路化
1977年:2代目のアーケード完成
1993年:3代目(現在)のアーケード完成、現名称に改称
2008年:「ジャンジャン横丁」の閉鎖

ハピナ名掛丁の歴史

ハピナ名掛丁とクリスロードの間

クリスロード商店街との境目は愛宕上杉通の信号ではなく、数十メートル入ったところで、かつて四ツ谷用水が通っていた場所である。

クリスロード商店街

仙台城下では新伝馬町と呼ばれた地区で、中央通の東二番丁から東五番丁周辺までの範囲にある。「笹かまぼこ」の老舗、阿部蒲鉾店など様々な飲食店やショップが並ぶ。商店街の中央付近にある三瀧山不動院では「仙台四郎」が祀られている。

クリスロード商店街

新伝馬町

仙台城下町の四伝馬町の1つで、読み方は『しんてんまち』。仙台開府当初は日形町と呼ばれていた。現在地名としては残っていないが公園に名前が残る。問屋街として物流の拠点となっていて、戦後はアーケード商店街「クリスロード商店街」となった。

クリスロード商店街の主な歴史

明治以降:問屋街化
1964年:初代アーケード完成、歩行者専用道路化
1970年頃:卸売業者が卸町に移転
1975年:「ダイエー仙台」開業
1977年:2代目のアーケード完成
1992年:3代目(現在)のアーケード完成、現名称に改称

三瀧山不動院

商売繁盛・家内安全を祈願する加持祈祷専門の寺院。沿革は定かではないが慶応元年に当時の住職が眼病平癒を祈り、お不動さまに供える水を汲みに出たとき、不動明王像を拾い上げたことによるとされる。仙台市内の商売繁盛の神様「仙台四郎」も祀っている。

三瀧山不動院の入り口

三瀧山不動院大祭

「三瀧山不動院」のお祭り。「三瀧不動尊祭禮」などとも表記される。毎年7月27日・28日に開催される。宵祭りの27日には様々なイベントが開催される。本祭りの28日には神輿や仙台四郎が乗った山車が、クリスロード商店街を中心に各アーケード商店街を練り歩く。

三瀧山不動院の神輿

マーブルロードおおまち商店街

旧・大町五丁目の商店街で、中央通の商店街で最も西側に位置し、一番町のアーケード商店街と垂直に交差する。1987年に大理石舗装され、現名称の由来となった。東二番丁通側にオルガンが設置されており、不定期で演奏される。

マーブルロードおおまち

マーブルロードおおまちの主な歴史

元は旧・大町五丁目で藩政時代から商人の町だった。
1896年:「エビスヤ(現・仙台藤崎)」が移転
1965年:初代アーケード完成、歩行者専用道路化
1977年:2代目のアーケード完成
1987年:大理石舗道が完成
1996年:3代目(現在)のアーケード完成、オルガン設置

マーブルロードおおまちのオルガン

藤崎えびす神社

奥州仙臺七福神の1つでえびす神を祀る。商売繁盛・除災招福の神として全国に知られる兵庫県の西宮神社が総本社で、藤崎が『得可主屋(エビスヤ)』の屋号で創業したことで氏神としていた。1932年の新館の完成以降、仙台藤崎百貨店本館の屋上に鎮座している。

藤崎えびす神社

一番町

仙台市にある地名。名称はかつての「東一番丁」に由来し、侍屋敷が並んでいた。現在はアーケード街が北から「一番町四丁目商店街」「ぶらんどーむ一番町商店街」「サンモール一番町商店街」と並んでおり、商店街・繁華街となっている。七夕祭りの際には巨大な七夕飾りが吊るされる。

東一番丁

定禅寺通から柳町までに至る侍丁で、侍屋敷が並んでいた。南側を『塩蔵丁』、北側を『糠蔵丁』ともいった。明治以降に繁華街、商店街へと変貌していき、現在のアーケード街となった。現在地名は1970年の住居表示によって「一番町」と名前を変えている。

サンモール一番町

旧・東一番丁の中央通から南町通までの範囲で「壱弐参横丁」や「文化横丁」の横丁、また「金港堂」のような昭和の雰囲気を残す場所・店舗が残る一方、近年は再開発も進んでおり青葉通一番町駅や「kurax」や「THE SENDAI TOWER」が開業した。

サンモール一番町

サンモール一番町商店街の主な歴史

1948年:『大通り親和会』発足
1954年:初代アーケード完成
1975年:2代目のアーケード完成
1979年:歩行者専用道路化
1982年:『一番町大通り商店街振興組合』設立
1986年:3代目のアーケード完成
1990年:現名称に改称
2015年:「仙台市地下鉄東西線」開業

野中神社

伊達政宗が城下町を築く際の町割りに利用した縄が地中に埋めた場所にあるとされる。現在の社殿は1988年に再建したもので、縄にちなんで縁結びと商売繁盛の神社として信仰される。7月には「藤崎えびす神社」「和霊神社」と共に「一番町三社祭り」が開催される。

野中神社

ぶらんど~む一番町

旧・東一番丁の広瀬通から中央通までの範囲で端に「仙台フォーラス」や『藤崎一番町館』があり、ファッションや飲食店など様々な業種の店が並ぶ。現在のアーケードは完成当時日本一の高さだった。公式マスコットは「エモドナル5世」。

ぶらんど~む一番町

ぶらんど~む一番町の主な歴史

戦前から『東一振興会』を使用
1954年:『東一一番街』に改称、初代アーケード完成
1983年:「仙台フォーラス」開業
1970年:『一番町一番街商店街振興組合』設立
1972年:2代目のアーケード完成
1979年:歩行者専用道路化
1993年:3代目(現在)のアーケード完成

エモドナル5世

「ぶらんど~む一番町」の公式マスコットキャラクター。名称は商店街のアルファベット表記『VLANDOME』を逆から表記した『EMODNAL V(ローマ数字の5)』が由来。先祖は慶長遣欧使節と共に日本に来たとされる。月に1,2回商店街をぶらぶら歩く通称『エモぶら』を行っている。

エモドナル5世

和霊神社

仙台市内に2社ある神社。宇和島藩主・伊達秀宗(政宗の長男)の家臣・山家公頼を祀る神社で、本社は愛媛県宇和島市にある。仙台のものは山家家が宇和島から分霊して屋敷内に社を建てたものとされ、1973年に立町通から台原に遷座し、後に分社して「仙台フォーラス」の屋上にも鎮座している。

和霊神社(台原の方)

一番町四丁目商店街

旧・東一番丁の「広瀬通」以北で、アーケードは建物に沿う部分のみで中央部分は露天。北端には「仙台三越」がある。国分町との間に「虎屋横丁」、東側には「東一市場」がある。アーケード商店街の中でも個人経営の店が比較的多い。

一番町四丁目商店街

一番町四丁目商店街の主な歴史

1951年:定禅寺通-虎屋・森徳横丁間で『北辰会』発足、『東一中央会(左記2横丁-広瀬通間)』と併存(ただし戦前から双方の名称とも使用されていた)
1954年:初代アーケード完成
1970年:北辰会に2代目のアーケード完成
1971年:中央会に〃
1979年:2つの組合が合併、歩行者専用道路化
1980年:組合が現名称に改称
1982年:『アーケードのある買物公園』となり「水時計」設置
1983年:3代目(現在)のアーケード完成
1987年:「141ビル」と「仙台市地下鉄南北線」の開業
2003年:老朽化に伴い水時計を撤去

ディズニーストア前

仙台市民の待ち合わせスポット。略して『ディズスト前』。仙台の繁華街・国分町に近く、一番町四丁目商店街と広瀬通の角の開けた場所にある。かつては「水時計」があった。午後6時くらいから待ち合わせの人と、その人たちを捕まえたい飲み屋のキャッチたちでごった返す。

ディズニーストア前

水時計

時計下部にはからくりが付いていた。1982年に設置されて著名な待ち合わせスポットになっていたが、倒壊の危険があるとして2003年に撤去された。現在は仙台市内の介護施設に設置されている。

一番町三社祭り

ぶらんど〜む一番町商店街の和霊神社、サンモール一番町商店街野中神社、マーブルロードおおまち商店街の藤崎えびす神社の合同で、毎年7月20日前後の土日に開催される。土曜日は宵祭り、日曜日には神輿が一番町通りから中央通りに渡御する。

一番町三社まつり

おわりに

思ったよりも文字数が多かったので横丁やデパートは別の機会に。ちなみに、実は長町商店街もアーケードをかける計画があったらしいけどいろいろあって立ち消えになった模様。

更新履歴

2024年1月20日:最近放置していたから書くか・・・・・・となって文章作成。

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