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計算論的精神医学 Computational Psychiatry: CPSY

先日、私は計算論的精神医学コロキウム主催の「CPSYコース東京2023」に参加しました。計算論的精神医学(computational psychiatry: CPSY)は、私が通う東京医科歯科大学も研究拠点として挙げられ、精神医学の新しい研究手法としても近年注目されてきています。今回このCPSYの概要や私自身の今後の展望についてnoteに書いていこうと思います。

私は歯学生であるため、普段は歯学は勿論、臨床医学や検査、薬理などの学問を学んでいるに過ぎず、計算論的精神医学やその研究手法において完全な初学者であるため、この分野に関心を持つ1初学者の視点からの紹介であることに留意していただけると幸いです。また、今回参加したコースで知り得た個人や研究内容などは、講演者の許可なく公表は出来ないため、詳しい研究内容は直接文献にあたることを推奨します。

1.精神医学が直面する問題

精神疾患は、厚生労働省によって、重点的に対策に取り組むべきと指定された五大疾病の1つであり、「ガン」「脳卒中」「急性心筋梗塞」「糖尿病」(四大疾病)に「精神疾患」が加えられています。
精神疾患は何らかの脳の失調と考えられており、急速な医学の進歩に合わせて、精神医学の分野でも分子生物学や検査技術の発展、新薬の発明などが期待されました。しかし、実際は、医学の発展に伴って精神医学が進歩されたに過ぎず、未だ治療技術が向上されたとは言えない状態なのです。

現代精神医学が直面する問題としては下記の3つ挙げられます。

疾病分類学の問題
現行の精神障害の疾病分類が、患者自身の主観的報告と行動観察に基づいており,生物学的知見・病因・病態生理に基づいた体系になっていないという問題。

バイオマーカーの問題
障害の診断、重症度評価、予後や治療反応性予測が可能な生物学的指標が確立されていないという問題。

説明のギャップの問題
蓄積されている生物学的知見と精神障害の臨床症状の間に説明のギャップがあり、病態メカニズムの理解・治療法の開発が不十分であるという問題。

精神障害のバイオマーカー探索には数多くの研究が行われてきましたが、そこからある2つの現象が明らかになりました。

1.精神障害に関連する生物学的所見の非特異性

ある疾患カテゴリーに関連するとして明らかになった遺伝子・分子の異常あるいは神経回路の異常が、多くの精神障害にも関与し、また、同様の神経回路の異常があるからといって、必ずしもその精神障害の症状を示すとは限らない。

うつ病で認められる脳画像所見として、扁桃体の過活動が挙げられるが、類似の扁桃体の過活動は、不安障害などでも同様に認められる。

(Gilpin,Herman,&Roberto,2014)

精神障害に関連するとされる多くの遺伝子異常が、統合失調症、双極性障害、自閉スペクトラム症などの複数の精神障害で重複している。

(Cross-Disorder Group of the Psychiatric Genomics Consortium,2013)

2.精神障害カテゴリーに関連する生物学的基盤の異種性

同じカテゴリーに分類されるような症状を示すとしても、その背景にある生物学的な基盤は、非常に異なっている可能性がある。

・Multifinal性
1つの生物学的基盤に基づいて、複数の精神障害の症状が生じる。
・Equifinal性
複数の生物学的基盤に基づいて、同じ精神障害の症状が生じる。

Multifinal性,Equifinal性の概念図

2.計算論的精神医学

精神医学が直面しているこれらの問題を解決するために、計算論的アプローチを使います。計算論的アプローチとは、精神障害における神経・行動的現象の背景にあるプロセスを数理モデルによって検討することです。

計算論的精神医学(CPSY)とは、その計算論的アプローチを用いて精神障害の研究を行う学問領域です。CPSYでは、Marrの3つの水準を意識した精神医学研究が行われます。

Marrの3つの水準

計算論的アプローチの利点としては、精神医学の直面する問題の解決策として、疾病分類とバイオマーカーの洗練化、説明のギャップを埋めること、効果的な治療法・検査法の探索が期待されています。

精神障害の疾病分類も有効なバイオマーカーも見つかっておらず、直接的に生物学的指標から精神症状の鑑別行うのは困難なため、行動や神経画像などのデータから数理モデルを用いて疾患に関わるパラメータの推定を行い、その推定値を指標として疾病分類を行うことができるのではないかと考えられています。これらを用いて、隠れた疾患メカニズムについて推測し、優れた生成モデルが作成できると疾患マーカーの洗練化に繋がります。計算論的精神医学においてはこの優れた生成モデルの作成が必須です。

また、数理モデルを使ってシュミレーションを行うことで、精神障害の治療に用いられる薬の作用メカニズムを明らかにすると同時に、新規な効果の高い薬剤の開発に寄与できる可能性もあるでしょう。

3.計算論的精神医学の代表的な生成モデル

計算論的精神医学研究で現在用いられる代表的な生成モデルとして、ベイズ推論モデル、強化学習モデル、ニューラルネットワークモデル、生物物理学的モデルの4つがあります。

異なる水準におけるデータと生成モデル

生成モデルは、データ生成過程を記述したモデルなので、入力とパラメータを与えると、人工的にデータを生成することができます。
研究者は、生成モデルを作成し、パラメータと入力の値を設定すれば、それらの下で発生するデータをシュミレーションすることができ、実験や観察などにより測定されたデータと入力を持っていれば、用意した生成モデルからパラメータを推定することができます。

【生成モデルを用いた研究手法】

1:計算論的表現型同定(computational phenotyping)
個人や疾患群のデータに近いデータを生成するモデルのパラメータを推定することで、その個人や疾患群の認知・行動特性とその偏り・変調を表現する。
↑ベイズ推定モデル・強化学習モデル

2:損傷シミュレーションによる仮説的推論(abduction)
モデルにおける変調と実際の行動・症状の類似性から精神障害の病態仮説を形成する。
↑生物物理学的モデル、ニューラルネットワークモデル

4. Computational Psychiatry Research Map (CPSYMAP)

CPSYMAPは、計算論的精神医学論文を、神経科学、精神医学、数理モデルの観点でタグ付けし、タグに沿って2次元マップとして研究領域の状況を可視化するデータベースです。2021年6月のメジャーアップデートでは、論文クローリングとタグ付けが自動化され、現在3600本以上の論文が登録されています。

5.私自身の今後の展望

私は普段歯学生ですが、精神医学の研究に力を注ぎたいと思っています。医学と歯学は別々に捉えられがちですが、高齢者の口腔内の健康と全身疾患の関連性が指摘されるなど、医学と歯学との融合領域が広がりつつあります。

精神医学においては、例えば、統合失調症患者の口腔衛生状態悪化の要因として、抗精神病薬の副作用(唾液減少、口腔乾燥、錐体外路症状、手の振るえ)、陰性症状(無関心、感情鈍麻、無為)、認知障害などが挙げられます。深く掘り下げると、抗精神病薬の副作用による錐体外路症状には「ジストニア」や「口腔ジスキネジア」、副作用に起因する顎口腔症状としては「不正咬合」「顎関節脱臼」などがあります。また、統合失調症患者の認知障害が健常者の理解を超えた行動・反応を生み出すため、歯科診療にも影響を受けます。
その他にも、従来の歯科治療では治らない歯科的症状である「歯科心身症」は精神科の領域とも重なるため、精神科や心療内科を紹介することも多く、治療法として抗うつ薬が奏効するケースが多いです。このように歯学にも精神医学との関連性が見てとれます。

まだ始まったばかりの研究領域である計算論的精神医学。未だ解明されていない精神疾患の病態解析を行っていくためには、他の研究領域と共同作業し、その際に多種多様な概念による障壁がないよう、各種生成モデルの定義や用語の整理などを行っていく必要があるでしょう。私は、計算論的アプローチが適用できる領域はまだまだ手付かずであり、計算論的アプローチを精神障害に適用したのと同様に、心身症に対して計算論的アプローチを適用することも可能であると考えます。計算論的精神医学が、精神疾患の異種性を記述できる新しい枠組みの発見に繋がることを期待しています。

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