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萩尾望都 (半神)

この作品はたったの16ページしかない。
・・・にも拘らず、その何倍もの内容が込められている。

体の一部分が結びついている双子の姉妹、ユージーとユーシー。
知性は姉のユージーに。
美貌は妹のユーシーに。
やがて二人は13歳になり、ドクターがある決断を下した。
それは二人を切り離すことだった。
勿論、そうすると自分で養分を作れないユーシーは死んでしまう。
しかし、何もしなければ、二人とも死んでしまうのだ。

今までユーシーの世話ばかりしていたユージーは喜ぶ。
わたしたちは べつべつになれる!
きせきだわ!
あぶない手術?
かまわない!

そして・・・妹のユーシーは死に、姉のユージーはすっかりふつうの女の子として成長する。
しかし・・・


たった16ページで、こんなに重く深いテーマをさらっと描いてしまう萩尾望都の力量に脱帽!!と言うべきか・・・。

「起承転結」がはっきりしていて、描く前のネーム段階でかなりよく練られているのだと思う。

これは姉のユージーの視点で語られているから、読者はユージーに自己投影をしつつ読んでいくことになる。
それが、ラストのユージーの涙をより身近なものとして味わうことになるのだ。

「自己犠牲」とか「人を助ける裏方人生の意義」とか解釈の仕方は色々あると思う。
が、それについては敢えて書かない。読んだ人が独自に解釈していく事に意味があると思うから。

「半神」というタイトル。
勿論「半身」とかけているのだろうが、素晴らしいネーミングセンスだ。
例えば「愛すべき妹」とか「引き離された半身」とか「天使のような妹」とか「無垢のほほえみ」とか「愛よりももっと深く」とか・・・そういう陳腐なものでなく、すぱっと「半神」!とした所がいい。

・・・で、この「神」という言葉。
作品中で出てくるのはラストページのみである。
それまでは「天使」という表現しかされていない。

生きている時は
「世の中の汚れを知らぬ天使」
死んだ直後は
「天使になった」

いつ「天使」から「神」になったのか?

生き残った姉のユージーの心の中で、次第にいつの間にか「神」というものに変貌していったのか?

ラストページ。鏡の中にあんなにきらっていた妹の姿をみつけ、涙するユージー。
愛よりももっと深く愛していたよ
おまえを
憎しみもかなわぬほどに
憎んでいたよ
おまえを
わたしに重なる
影・・・
わたしの
神・・・
こんな夜は
涙が止まらない


以上の文章は2006年にブログで書いていたものです。もう何年もこの「半神」を読んでいないから今読み返すと多少は感じることが違うかもしれないけれどこの作品が素晴らしい物だということは間違いないと思います。

短い作品ではあるけれど、この作者の代表作のひとつだと私は思ってます。近いうちにもう一度この作品を再読してみたい。

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