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山岸凉子 (天人唐草)

この作者は、長編もいいが、短編も非常にいいものが多い。

この「天人唐草」タイトルページでは天女?が舞っている姿。
あぁ、綺麗だなー。今回の話は現代ものじゃないのかな?と思いつつページを開くと3ページ目にはどこかの空港。不審な人物らしき人の足元のみの絵で終わる。
「えっ?何だ??この展開は???」…と思いつつ次のページをめくると「きえー」とか「ぎえーーーっ」とか妙な叫び声を上げながら歩く、髪を金髪に染め、厚化粧をし、ヒラヒラのドレスを着た、明らかに精神状態が普通でない女性の姿。
何だ???と思いつつ次のページを見ると、時間と場所が変わりますよ。というコマがあり、小さな女の子が登場する。
名前から察するに前ページの女性の子供のころの姿だと推測出来る。
ここまで読んだら、もう読者は完璧に作品世界の中に入ってしまっている。なんという見事な導入だろう。
そして、この作品のタイトルである「天人唐草」に関するエピソードが描かれる。
そこで初めて読者はそれが非常に重要なキーワードだと知るのだ。

主人公の響子が父親によって、どんどん本来の性格が歪められていく様をこれでもか、これでもか、という風に細かいエピソードの積み重ねによって描かれていく。
読者は響子がどうなるかを知っているから(もしくは、知っているのに?)ドキドキ、ハラハラしながら読んでいく。
何度か父親からの呪縛を解く小さなチャンスがあったにも関わらず、どうにも変われず、結局、父親の死で初めて父親の真実の姿を知り愕然とし、その上に見知らぬ男に暴行を受ける。
これで狂わなかったら変だ。というぐらいの展開だ。説得力あり過ぎ!


人間誰でも多かれ少なかれ、ある種の呪縛にかかっていることが多い。
かくいう私もそうであって、その呪縛に自分自身気がついているのだが、その呪縛から脱出する事がなかなか出来ない。
まぁ、気が狂うほどの呪縛ではないので大丈夫なのだが、やっぱりいつかは解放されたいと願っている。(解放されるも、されないも、自分自身の考え一つなんですけどね)
とにかく、これを読んで自分自身に何らかの「呪縛」が掛かってないか考えてみるのもいいかもしれない。…そう、思った。

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