雨を憎んで人を憎まず
雨が降ったら、彼は来ない。
ここでは、雨の日の約束は、反故される確率が極めて高いのだ。
が、しかし、
雨を憎んで、人を憎まず
なのである。
雨が降ると、排水溝のない道は川と化す。
未舗装の道はまるで田んぼのごとくぬかるみ状態。
立て付けの悪いバスの窓からは雨水がジャージャーと車内に流れ込む。
3人家族の自家用車が、バイクであると言う人も多いし、とてもじゃないけど遠出は難しい。
これじゃあ、雨の日に外に出かけようなんて思わないわな、と思う。
強行突破したところで、出かけた先で濡れネズミ状態だ。
そんな思いまでして果たさなければならないプライベートな約束とはどんな約束なのか?
「この豪雨の中、どうしろというのだ!」
と言われて、「何が何でも来い!」というほどの重要な用事なんてそうそうなかったりもする。
それに、ずぶ濡れで来てもらってもこちらが困惑すると言うもの。
なんなら、仕事のアポすら、このどうしようもない雨の前に延期になる可能性が高いのだから。
雨が降ったら雨宿り。
そう、それがここポカラでは妥当な対応なのだ。
自然は、私たち人間の一人ひとりの都合に合わせてくれるわけじゃない。
私たちにできるのは、しばし、空を眺めながら雨が止むのを待つことくらいである。
激しい豪雨であればあるほど、30分か1時間もすれば徐々に落ち着くのだから。
雨を憎んで人を憎まずと言っておきながら、矛盾してはいるのだが、結局は、自然の前では人間など無力な存在なのですよ。
だいたい私らに憎まれたところで、雨にとっちゃ、へでもないんでしょうしね。
1時間くらい雨宿りしても、イライラしない。
そのくらいの心の余裕はほしいもんだね。
もうすぐ雨季が終わろうとしているポカラではあるが、なんだかここ数日はこんなことを思ってしまうような雨が続いている。
一雨ごとに空気が秋の気配をおびる9月の雨。
こんな日は、家の中にいるのがよい。
家の前の舗装道路の両脇に現れた幅50センチほどの川を眺めつつ、つらつらとノートを綴るのがよいのである。
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