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無気力学生だったあの子に起きた、小さな革命


久しぶりの投稿すぎて、指が震えています。半人前コーチ@新幹線移動中です。

いやぁ、記事を書くのは2年ぶりですね。本当にごめんなさい。この間にいろんな方からお叱りというか、プレッシャーを掛けられました。まじで書かなすぎだと。本当にごめんなさい。これからは頑張って書くようにしますね。(って、いつも言ってたけど書いてなかったから、今回は本当にがんばります。)

私はミニバスと高校チームのコーチをしていて、仕事では大学教員と、共同研究として広告のお仕事をお手伝いしています。なので、小学生~新社会人まで接する機会がありまして、そこで思ったことをつらつら書いていこうと思います。なので、いろんな世代のお話をすることは、ご承知おきください!

今日は、大学生の話。正確には、大学を卒業して2年経過してから就職した女子学生の話です。

その子は本当に手のかかる学生でした。私のゼミの1期生なのですが、今でも過去一手のかかる学生だったと思っています。卒論のテーマを決めるにも約束の日に出してこない。調査の結果をまとめるのも約束の日に出してこない。ゼミの卒論第一提出期限にも、約束の日に出してこない。卒業単位もギリギリで、その話をするにも、約束の時間に遅刻する。そんな学生でした。

でも、素行が悪いわけでもなければ、いわゆる「不良」や反抗的な学生でもありません。とても優しい女の子です。でも、なんというか、何に対しても無気力というか、関心がないというか。そんな感じでした。友人との関係も、表面的には非常に上手に関わっているのですが、精神的な繋がりは求めないし、それを感じることもない。そんな学生でした。

私は彼女に、「今就職しても、入社する先の企業も困るから、就職しないほうが良いんじゃないか?」と話をしました。これは半分は本心でしたが、もう半分は、今の状況で彼女が就職しても、絶対に幸せにならないだろうなと思ったからです。彼女は納得するわけでも反対するわけでもありませんでしたが、結局彼女は就職することなく卒業をしました。その代わり、毎月1回程度、彼女の状況や進路に関する面談をしていたのです。

そんな彼女が去年あたりから、少しずつ変わり始めました。変わり始めた理由は、正直、全然大したことのない理由でした。

彼女は、いつまでも親に甘えてるのもなぁ、というくらいの理由から、タイ料理屋でアルバイトをはじめました。卒業して1年を経過した、昨年4月のことです。アルバイトはお金をもらうから、ちゃんとしなくちゃという理由で、遅刻することなくアルバイトに行くことができるようになりました。とても、とても当たり前のことですが、彼女にとってはとても重要なことでした。


そのアルバイトを半年くらい続けていると、今度は後輩が入ってくるようになりました。後輩には、先輩が仕事の内容を教えなければなりません。彼女は初めて、人に何かを教えるという経験をしました。とても、とても当たり前のことですが、彼女にとってはとても重要なことでした。
その後輩は、わからないことがあると先輩である彼女を頼ってくれるようになりました。自分が関わった誰かと、初めて信頼関係というのを感じるようになりました。人から必要とされるという喜びを、初めて感じられるようになりました。これも、とても、とても当たり前のことですが、彼女はアルバイトから、とても当たり前のことを感じられるようになったのです。

この出来事を、泣きながら私に、「嬉しいです」と話してくれたのが、昨年の10月くらいの出来事でした。私は彼女の成長を感じ、そのとき初めて、これは就職しても大丈夫だという確信を持つことができたので、「そろそろ就職活動をしても良いと思うよ」ということを伝えました。それも嬉しかったようで、彼女はまた泣いていました。


多分、他の人から見れば、”ただアルバイトをやったっていうだけの話じゃん”ということだと思います。それは間違いありません。でも、彼女にしてみれば、それはとても大きな出来事だったのです。彼女の中で”革命”が起こったのです。それは、他人と比較するものでも、他人からとやかく言われることでもありません。自分の中で、”何か”が生まれたことに、彼女は大きな喜びと共に感じていたのです。それを彼女は、初めて感じた「自己肯定感」だと言っていました。

私は彼女から学んだことがあります。1つは、自分の中での”革命”は、いつどんなことで起こるかわからないということ。そんな変化は、ある程度のアイデンティティが確立された大学生では起こらないと私は思っていました。ですが、それは私の思い込みでした。大学を卒業してからでも、大人になってからでも、何かのタイミングで、自分の中の”革命”は起こりうるのです。それは多分、意志のある人にしか起こらない変化なのだと思います。それを彼女から学びました。

もう1つは、それは他人から強制されるものでも、他人から評価されるものでも、他人と比較するものでも無いということです。他の人から見たら、本当に些細なことでも、自分の中では大きなきっかけになることがあります。他人からそれを強制されることは、とてもしんどいことです。もう少し彼女自身のことと合わせて踏み込むならば、例えば就職活動という半強制的な変化では、彼女の中の”革命”は起こらなかったと思うのです。自分の心の動きの大きな一つ要因として、外的要因はあるとはあると思います。ですが、それが全てではありません。なのに、環境(外的要因)を変化させることによって、人の内側の革命を強制されるということが、世の中ではよく発生しています。それは、とても苦しいことだと思います。
彼女はその環境に流されず、自分で判断しながら、ときには周囲との差に凹んだりもしながら、最終的には自分の中での何かを勝ち取ることができました。そういう生き方も、認められて良いのではないかな。そんなことを思いました。


4月から彼女は就職します。大事なのはこれからです。ただし、彼女は初めて自分から望んで、自分から求めて別の環境に飛び込みます。大学を卒業した2年前では考えられない変化です。これから平坦な道では無いと思いますが、彼女の幸せを願ってやみません。


【追伸】
4月から就職する彼女自身から、後輩/同窓生向けにメッセージもらいましたので、ここに掲載します。

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超個人的な話をこれからさせて頂きます。しかもついつい長くなってしまったので気が向いた方は良ければ読んで下さい。

私の大学生活は誰が見てもどうしようもない腐り方でした。ゼミのエントリーシートが分量と内容共に最悪で、卒論のも一度も先生との約束も守れませんでした。当時を端的に表すと、自分で自分が手に負えず常に逃げ、それを責任転嫁してさらに自暴自棄になっていました。

大学4年の前期、単位が足りなかったので何個も授業を取っていたのですが、大学には最低限通うのみでどんどん周りを遮断していきました。(細かい理由は割愛します)そんな私がこれではいかんと思わされたのは、まさに卒論のタイミングでした。経過報告を怠り、第一提出(?)は遅れた上に内容もスカスカでした。そこで先生に呼び出されました。予想に反して優しかったことに困惑すると同時に愛情を感じ大泣きしました。その後はひとまず登校することとなったのですが、久しぶりに会ったゼミ生みんなも変わらず優しく接してくれました。しかし私のガードも堅く、周りが私が卒業出来るか心配していること、さらには「あなたと一緒に卒業したい」と言ってくれていることの本質が理解出来ませんでした。先生に懇切丁寧に状況を説明してもらったことで腹の底から理解し、心の距離を作っていたのは自分だと気付かされました。

私を見兼ね期限までの1週間程夜遅くまで作業に付き合ってくれたり、家から大学の送り迎えをしてくれたりと多くの支えがありました。また振り返ると、色々なタイミングで手を差し伸べていた人がいたのに自分の視界が極端に狭くなっていて無碍にしてしまっていました。本当に申し訳なかったです。ただ一つ言えることは、その積み重ねがあったから今があるということです。

まだ以前の自分から完全に脱却してはいないですが、卒業後のアルバイト経験はすごく貴重な時間でした。理解されにくいとは承知ですが、遅刻や忘れ物をしない経験、周りから頼られていると日々実感する経験はこれが初めてでした。みんなが先のステージに進んでいて、必要以上に焦ることも多々ありました。でもそんな時は一旦立ち返り、”あのまま就職していたらどうだっただろう”、っていうか”このゼミじゃなかったらどうなってたんだろう”と考え腹落ちしてました。他人との比較で踊らされているだけでした。それは私があまり強くないからなのかも知れませんが。
このゼミに入りメンバーに恵まれたこと、この2年という期間があったことが今の自分を大きく大きく形成していています。改めて本当にありがとうございます!

これからもっとずっと大変な経験をすると思うのでみんなの背中をみてさらに頑張ります!
私の拙い取り留めのない文章を手間を掛けて読んでくれて本当にありがとうございました。

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