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致知の付属資料で蟹工船を描いた小林多喜二のお母さんのエッセイがありました。
それを見てなぜか北野武さんのお母さんのことを思い出しました。
 
北野武さんのお母さん…すごい人だと思います。
 
「オイラは塗装職人の父ちゃんと
 教育熱心な母ちゃんのもとに生まれ
 お世辞にも裕福とは言えない環境で育った
 そんな暮らしの中でも
 母ちゃんの教育は凄かった
 飯に金をかけるよりも
 参考書を買うと言って
 ひもじい思いをしたこともあった
 でもそのおかげで小学校の成績は常に上位
 高校卒業後は明治大学に現役合格
 でも大学に馴染めなかったな
 大学2年くらいから学校に行かなくなり
 フラフラしていた
 結局大学は除籍となり
 芸人を目指すことに
 それを知った母ちゃんは怒り嘆いた
 オイラは怒る母ちゃんの反対をよそに
 売れることを夢見た
 下積み時代の苦労は忘れることはない
 売れると信じていた
 そしてきよしとコンビを組んで
 オイラは売れた
 売れ始めた途端
 母ちゃんは目の色を変えて
 お金を無心してきた
 病院代をくれ
 水道の修理代をくれ
 今までお前を育てた費用だから
 俺はそんな母ちゃんを見て
 ショックを受けた
 教育熱心で優しかった母ちゃんが
 こんなになっちまうなんて
 そんな母ちゃんも年を取り
 元気がなくなってきた
 そんな頃 姉ちゃんから一冊の通帳を渡された
 そこには今までオイラが渡してきたお金が
 そのまま入っていた
 一円も手がつけられずに
 芸人という安定しない商売に不安に思って
 貯めてくれていた
 自分が嫌われても
 オイラのことを考えてくれていた母ちゃん
 涙が止まらなかった
 母ちゃんを超えることはできないな
 本当にありがとうございました」
 
 
そこまで嫌われてでも我が子のことを
思うのが母親と言うものでしょうか。
僕だったらそれはできない。
いい人と思われたいと思う。
自分がどう思われようが関係なく、
我が子の幸せだけを考えて
自分が死んだ後でも
苦労しないようにと思う気持ち。
 
母は偉大だなと。
 
あの北野武でも
「母ちゃんを超えることはできないな」
ということ。
 
 
僕の母親は23年前に天国にいって
この世にはいませんが、
以前夢にでてきました。
雨の中駐車場まで一緒に歩いて、
会話をしました。
何を話したのか覚えていません。
なにげない日常の会話でした。
いつも母がいるのが日常だった
感覚で何気なく話していました。
目が覚めて「夢だった」と気づきました。
思い出すとさしていた傘は
生前、誕生日にくれた傘だったのかも。
母親も僕のことが心配で、
「お母さんは天国でも元気でやっているよ」
とでも言ってくれているかのようです。
 
母ちゃん、ありがとう。
 
 
 
今日もお付き合いいただきありがとうございます。
今日も頑張っていきましょう♪
水曜日だけど、金陽でした(^^
 
【沖縄の営業マン宮城の日々感じていることブログ】
(ブログ連続投稿616日目)2024.3.27
 
沖縄の生命保険セールスマン
 
(※あくまでも宮城の個人的な感想、意見です。あしからずm(__)m)

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