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『エンピツ戦記』(舘野仁美著、平林享子構成)の書評

【職場を生き抜く女性戦士】

 エンタメ業界の中でもアニメーション業界ほど実体が見えない世界もない。低賃金のブラック業界などと噂される一方で、映画興行ランキングの上位にはアニメが入り、業界を夢見る若者も後を絶たない。本書は、スタジオジブリに嫁ぎ、「動画チェック」という役職を27年間務めたアニメーター、舘野仁美さんによる語り下ろしだ。
 「となりのトトロ」から「思い出のマーニー」まで各作品のこぼれ話や、鈴木敏夫プロデューサーの逸話、後進アニメーターたちへの教育法、宮崎駿、高畑勲両監督の裏の姿など…。ジブリの内幕が期待以上に書かれている。アニメーターの特性なのか、観察者としての著者の冷静さが、どこかトボけていておかしい。
 作品が完成してホッとし、舘野さんが宮崎監督の前で泣き出してしまったときのこと。差し出されたハンカチを見て、彼女は思う。「宮崎さんはハンカチを持っている大人なんだなぁ」と。この乙女っぷり!
 もちろん、動画チェックという役職ならではの厳しいエピソードもある。動画チェックは、つまり動画の監督役で、各アニメーターの線を最終的に統一する仕事だ。汚い線ではセルを塗る仕上げ部に迷惑が掛かる。高畑監督に怒られようとも、指示に反して動画チェックの仕事を遂行する。繊細な作業と、行程管理を両立させる難しい立場。アニメでよく見る自己犠牲的な少女像を背負わされたら、作品自体が完成しない。悩んで落ち込み、それでも立ち向かう著者のたくましさが気持ちいい。
 家族的な、密なスタジオ。厳しい才能の世界では、引っ込み思案の正直者では生き延びられない。やりがいとともに、〝引っ込まない思案〟〝執念深さという生命力〟が彼女を支える。
 削られたり尖(とが)ったり、それでもしなやかな線を描く1本のエンピツ。職場という戦場を生き抜いた女性戦士の実話だ。いつかこの本、NHK朝の連続テレビ小説になるのでは?なんて夢想した。ほら、アニメには夢がある。
 評・宮地昌幸(アニメ監督)
 産経新聞2016/1/17掲載

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