体の弱さ敏感さ・年齢・服など

昨日の朝起きた瞬間から体調が少し怪しい。そこまで辛くはないが、気管支がヒューヒューと音を鳴らしている。
体に不調が出ると一番最初に、体の一番弱い部位である気管支に不調が出る。息がし難くなったり、気管支が狭まってヒューヒューと音を鳴らし始める。

昔から体は弱かった。それは良いことではないし、自分の体を疎ましく思うこともあったけれど、今振り返ると、それはそれで良かったな、と思う。
体が弱いせいで、若いうちから少し無理をしただけで再帰に相当な時間がかかる程ノックダウンさせられた。

そんなことを繰り返すうちに、ドラマや漫画や偉い人が口々に伝えてくる「根性論」的な
「辛いことを耐えた先に成功がある」「困難に身を投じてやっと得るものがある」というメッセージが私には当てはまらないということに気づいた。
私にとっては「辛いことを耐えたら倒れる」それだけだ。そして倒れたら、失うものの方が多いのだ。

そうして学んだ結果、活動方針を「辛いことを耐える」よりも先に「辛いと思わないレベルを上げる」ために体力をつけたり体を丈夫にしたりするよう変更した。
横断歩道で小走りすることが出来なかった時代もあったことを考えると、以前に比べて飛躍的に体は丈夫になって体力も増えた。今や1日1万歩歩いたり公園でこっそり雲底することもできる。もちろん無敵になったわけではないし、体は敏感なままだ。
それでも、今まで体が弱いことで経てきたこれらの経験が、自分の体としっかり向き合うことを学ばせてくれた。
また、体が敏感であるおかげで、自分の体調が変化した初期の段階で気づくことができる。

あともう一つ心理的に良かったな、と思う点がある。
若い時から自分の体力の無さや体の弱さに苦労してきて、最近は逆に前よりも元気になっているので、私の同世代が口々に言う「20代のころとは違う」類の感情が全く湧き上がってこない。20代のときより元気だし。
私が高校生のときに自分に誓った気持ち「今後一生年齢を理由にして行動を決めたりしない」(当時は、年齢の経過とともに”年相応”の服を着なくてはならない、という風潮に怯えていた)は今も揺るがずにここにあるし、
事実か事実じゃないかは置いておいて、あらゆる不調「物忘れ」とか「体調」とかの理由を年齢に落とし込むのもできるだけ止めようと思っている。個人的には、若い頃に気にならなかったけど今は気になっているだけのパターンも結構あるんじゃないかな、と思う。

ちなみに昔から流行を追った服は全く着ていなくて、自分自身が好きな服を選んでいたので、いまだに高校時代着ていた服を変わらずに着ていたりするのは、人によってはヤバいと思うんだろうな・・。

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