いろんな人が持っているように見えて本当はすごく希少な

10年ぶりに、新卒で入った会社の同期に会ってきた。私は入社後たった半年で辞めて、彼女は7年働いて辞めた。
半年で辞めて正解だったよ、と
新人の間だけ我慢したら良いと思っていたらそれが7年間続いたそうだ。
それが何かはここには書かない。

残ってる同期はほとんどいなくて
新入社員もどんどん辞めているらしい。
若いうちからあんな会社は辞めた方が良い、もっと良い会社はいっぱいあるんだから。
と彼女は言っていた。

10年ぶりに会っても彼女は変わらず、よそよそしさは全くなかった。
普通は信用できる相手にしか話さないようなことをつらつらとたくさん話し、私もなんでも全部話した。
鬱になったことやあまり積極的に仕事をせず、自分の時間の確保を優先していること、それなのに夫の食事さえ作っていないこと
正解が固定されている人によっては、聞けば説教でもしたくなるような私の状況も、ただただ興味を持って聞いてくれた。

なんだかすっごく楽しかったし、嬉しかった。
私が彼女の家の近くまで行って、彼女はめっちゃおしゃれで美味しいカフェを予約してくれた。
キーマカレーとバスクチーズタルトを食べた。
しょっちゅうは会わないけど、また会いたいなー。

初対面の人と関わり合うとき大概の人は、まずは相手がどんな人物か、信用に足る人物かを判断するため、当たり障りのない人間になろうとする。
少しずつお互いに理解できる部分が増えていくと、上手くいけば本音を話せる関係になる。場合によっては阿吽の呼吸を築ける人もいる。
そういう絆が世の中にはあって、珍しいことではないけれど、簡単なことでもない。
特に人間関係を築くのが苦手な私にとっては難しい。
「距離感」と言われるものを測るのが難しいのだ。
仲良くなりたい人にグイグイ行って引かれるのも嫌だけど仲良くなりたい
かといって
最初からグイグイ来る人には私の方が引いてしまう。
私にもある距離感。
しかし測るのは難しい距離感。

本当に仲良くなれたような気がしても、会話していたLINEに突然返信が来なくなると、あれ、私ったら、何か気に触ることを言ってしまったのかな?
と思って直前のLINEを見返す。
うーんと、確かに捉え方によってはカチンと来る人もいるかもしれない?か?
と考えはじめて、次には、無意識にデリカシーのないことを言ってしまう人間だ、私は・・と落ち込んでしまったりする。

そんなこともあって、今回会う前には
また私の発言で相手を嫌な気持ちにさせませんように
とかいろいろ心の準備をしたけど
結局のところ、緊張は相手にも伝わるのだから、自然体にこの時間を楽しもう、と思ったのがもしかしたら良かったのかもしれない。

とにかく、私みたいな人間にも気持ちを打ち明けられる貴重な存在がいた。
その喜びがポカポカと体に充満している。

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