風が吹くと桶屋が儲かる

 自慢。

 この数日、どこかのSNSでどこかの親御さんが、自分の娘が初潮を迎えたのでそれを記念して赤飯を炊いてお祝いしました、なんてなことを写真付きで投稿、したところ、娘のプライパシーを考えない馬鹿な親がいる、と云うので誰かがトゥギャッターに投稿、したところ、そこへコメントを寄せた誰かが拙作『十億アクセスの彼方に』を引き合いに出して「リアルにこれじゃん」みたいなことを云ってくれたおかげで、私のページのアクセスが少し増えて、ツイッターのフォロワーがちょっと増える、みたいなことが起こっているのだけれど、これはもう、わからんちんの親御さんが登場するたび、そうさなあ、年に二、三回はきまって起こることであって、なんと云うか、おかしなピタゴラスイッチができちゃったもんだなあ、なんて、面白く思っています。

 閑話休題

 現実が虚構に近づいてくるのを見るのはまあ愉快なものではあるのだけれど、裏を返せば、それだけ虚構を拡げられる幅が狭くなっている、と云うことにもなるように思うので、うーん、手放しでは喜べないような気にもなります。つまり、今から十数年前にはあれを虚構として作ることができるだけの余地があったと云うことでやんす。ネットにはもう、未来を面白く想像する余地は殆ど残っていないのだと思っています。なにしろおでんツンツンの時代だもの。

 閑話休題

 胃カメラを飲みました。幸い怖い病気には罹っておらなかったのですが、どうやらピロリ菌が居そうだと云うので後日検査の上、除菌すると云うことになりました。しかしあれですよ、怖い病気を引き起こす悪い菌の名前がピロリ、ってこたあねぇだろ愉快すぎンだろ名前の響きが、と、なんか釈然としない思いにいつも駆られます。なんだか、明るく陽気にいきましょう、って歌う面白いギタレレ漫談の人みたいってそれはぴろき氏だ。

 閑話休題

 ピロリ菌のことを思うたびにきまって思い起こされるのは古典落語『疝気の虫』のことで、だから、お医者さんのお話を伺いながらも心の中で、蕎麦と唐辛子と女性の助けを借りれば追い出せるんじゃないかしらん、なんてことばかり思っているそう云う人間ですからいつも肝心な場面でしくじってばかり居ます。別荘別荘……。

 閑話休題

 kindle unlimitedを素見かしていたら『男の隠れ家』なる雑誌の特集が『平成落語黄金時代』と云うものだったからダウンロードして読んだ。このところ熱心に小屋へ足を運ぶこともしていなかったので、いま若い女性を中心に人気だと云う二つ目の事情についてはほとんど解らなかったからありがたく読んだ。紹介されている二つ目の中では桂三木男氏ぐらいしか生で聴いたことがない。硬派というか骨太な落語をするなあ、と思って好ましく聴いていたから今度真打になるという記事を読んで嬉しく思った。しかし時の流れは速いもので、当該特集で大看板として扱われている志の輔、昇太、喬太郎、談春、談笑各師匠連、全員二つ目の頃を聴いているよなあ、と思った。特集には出てこなかったが志らく師の独演会には二年くらい毎月のように通ったっけ。国立演芸場やソニービルの上ンところでやってた。

 閑話休題

 しかし未だに不思議に思うのは、上に挙げた師匠連が入門を果たした80年代の前半から中頃にかけて、落語が若者のアンテナに引っかかるってことは、まことに少なかったように思うのだが(すごく古臭いものだと思われていたように記憶している)、そんな中で、どうしてこれだけ才能のある人々が塊になって落語界に集まってきたのかなあ、ということなんですな。それはまあ当時だって談志志ん朝円楽円鏡円丈小朝楽太郎小遊三志ん五なんて大看板や若手の人気者はいたけれども、世の中がバブルに向かってゆこうとする中では、やはり時代の先頭集団に落語がいるという感じではなかった。当時であればたけし軍団に入ろうとする方がよほどストレートな感性という気がする。そんな中でどうしてあの人たちは落語だと気付いたんだろうなあ、という感じがして、いやはや、世の中の流れ、物事の興隆というのは一筋縄ではいかんなあ、面白いなあ、と思うのでありんす。何が流行って何が廃れるかなんて解らないネ。

 閑話休題

 ではそんなことで。Macでも動くというからRPGツクールMVを買って弄り始めたのですが形となるものが作れるまでにはまだまだ時間がかかりそうです。まあ、そのうちになんか作れるでしょう。そんときぁまたよろしく。

 http://garbage-coll2.sakura.ne.jp/


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