那須川天心が負ける日!?

”はい!勝ちます!”
僕は今日、彼と約束しました。
サインもらっとけば良かった〜〜!!(悔しい)

どうも、「NaNaの会」広報のミヤケです。

本日は、NaNaの会恒例の「小・中学生しゃべり場」でした!

中学生を中心に20名以上が集まり、みんなで語らい、同じ居場所を感じ、、そしてご飯を食べました。

受験生へ一言・・・?

この時期といえば、受験生である中学三年生は部活も引退し、受験へまっしぐらな雰囲気です。
今日も学校の進路指導の先生から受験に関する説明があったようで、特にお母さん世代はヤキモキしながら夕方を迎えられたようでした。

「ミヤケさんから是非受験生に一言メッセージを!」

代表にそう言われたわたくしミヤケは、”いやあw”と言いつつも、受験生に何を言ってあげられるかを皆んなが集合する前に考えてみました。

以下メモです。

ーーー

僕は僕の人生しか歩んだことがないので、僕の経験を話すしかありません。
もちろん、知識の中から話すことはできますが、それでは「大人の言うただの正しいこと」になり、僕の想いも乗りません。
だから、僕は僕の話をします。
皆んながこれから迎える高校受験、僕も経験しました。
当時のことはよく覚えています。面接でどんなやりとりをしたのかまで覚えています。
当時、僕は皆んなと同じ公立の中学校に通っていたため、人生で初めての受験でした。
受験を意識しだした中学三年の春、僕はこんなことを思いました。
「受験ってなんてダメな仕組みなんだ」
「点数だけで子供を判断するなんて。
自分も親も辛いはず。
僕も友達も、点数では測れない心や気持ちがあるし、これまで14年間生きてきた歴史もあるのに。
なんで点数なんかで判断されなきゃいけないんだ!!」
こう思っていました。
でも、こんなこと、当たり前なんです。
僕たちが心の中で何を考えていようとも、表面的には何も見えません。
だから、”点数で判断せざるを得ない”んです。
大人も人間、超能力者ではありません。
僕たちは、生まれて初めて、自分のことをよく知りもしない大人に”残酷に判断される”のです。
たった一点低いだけで、「お前はダメだ」と言われてしまうような気持ちになるかもしれません。

受験勉強を一生懸命やるかどうかは、自分次第です。
仲間や家族はいますが、代わりに受験してくれるわけではありません。
自分1人の結果を、残酷に判断されてください。
汚く見える大人の世界を味わってください。
もし結果が、自分の望んでいない結果だとしても大丈夫。
命までは取られません。家族も仲間も取られません。
悔しい気持ちが残るだけです。
でも、そんな悔しい気持ちすらも、”一生懸命頑張った”と思える人にしか味わうことが出来ないんです。

残酷ですが、それも経験です。

ーーー

少しハードな内容なので、言い方には気をつけようと思いましたが、メモでした。

しかし、このメモを読むことはありませんでした。

それは、「受験勉強の話」よりも、もっともっと素晴らしい時間・空間に出会えたからです。

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俺は勉強じゃなくて・・・

勉強の話なんて、学校で散々されているし、興味がないわけです。

ワークショップ的な雰囲気を運営メンバーの方々が作ってくれましたが、イマイチ・・・

そんな中、僕が注目したのは3名の中学三年生です。

①公務員になりたい

とりあえず近くに座っていた女の子に声をかけてみました。

”将来やりたいことあるの?”

「公務員です」

”なんで?”

「ブラック企業に勤めたくないから・・・」

これを読んでいる大人たちよ。
反省しなさい。
てか、一緒に反省しましょう。

子供達は「ブラック企業」の存在を認識しています。

会社で働いている大人、ビジネスパーソンにポジティブな憧れが少なくなっています。

これは決して”子供の浅知恵”で済ませてはいけないなあと反省しました。


②バイクで走りたい

続いては、帽子を深くかぶった男の子。

「俺はバイクに乗る!」

声は小さいのにハッキリと聞こえました。

”それは、レーサーとかスタントマンとか?”

「いや、違う。ただ走りたい。」

(なんなんだよ・・・かっこ良すぎるやろ・・・)

”将来はバイクショップとかもやりたいの?”

「いや、それはいいや。」

「これ」

そう言い、男の子が出したスマホの中には素人が見てもかっこいいバイクが沢山並んでいました。

「これに乗りたい」

「来年になれば免許取れるやつもあるから」

”走るだけなの?”

「そう。走り屋。走ってみたい。」

お母さん世代が「走り屋」と聞くとドキッとするかもしれませんが、彼は本当にバイクが好きで、ただ走りたいんだと思います。

ただ、体験したことのないスピード感で、感じたいんだと思います。

それをどう捉えるかは人それぞれですが、僕たちは彼を応援したい。

どこまででも、大人の手の届かないところまで、

走れ!!!


③格闘家になりたい

最後は、一際目を輝かせていた男の子です。

「俺は格闘家になる」

”高校は?”

「一応行くけど、ジムで手伝いとかしながらプロになって、チャンピオンになったら、リングにおじいちゃんとおばあちゃんを上げてあげる。今までありがとうって感じで。」

”まじかよw それすげーなw”

「でもさ、格闘家だけってやっぱりお金(収入)とか難しくって、だから、ジムでトレーナーにならないかって言われてて、他の人のサポートしながら働くかな。」

”やばい!いいじゃん!!”
”好きな格闘家とかいるの?”

「K-1だと、昔、山本KIDっていたんですよ・・」

”昔ってwww”
”俺ら世代よw”
”KIDと魔裟斗は俺も好きだったなあ”

「そうなんです!」

”俺魔裟斗派だったけどねw”

「うわ〜俺KID派ですw」
「でも今はキックボクシングにも興味があって、、」
「那須川天心って知ってます?」

”もちろん!最近の試合はほとんど観てるよ!”

「そう、その天心とかみたいになれたらなって。」

”天心ってまだ20歳とかでしょ?”
”対戦出来るんじゃね?”

「あ!いけますね!確かに」

”でしょ?10年後でも30歳、君は24歳。”
”いけるね”

「いけますね」

”勝ってよ。”

「え?あ、はい!」

”まじで、観たいわ。天心が初めて負けるとこ。”

「はい!勝ちます!」

僕は彼と約束しました。

那須川天心が初めて負ける日、リング上でおじいちゃんおばあちゃんと泣いているのは、きっと昨日目を輝かせていた彼でしょう。

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学校ではない場所。家でもない場所。

NaNaの会を時間とともに見ていると、参加していると楽しい。

何が楽しいかというと、
大人が子供に何か提供しているように見えて、実は成長しているのは大人だということです。

この日も、しゃべり場の後のミーティングは1時間以上にも及びました。

正式にNaNaの会として活動しているのはミーティング参加者の半分未満。
ほとんどがNaNaの会に共感して集まった人たちです。
その中の1人に僕もいます。
地域コミュニティをいくつも実践している人や、ボランティアさん、会社を経営されている方まで、様々です。

そのミーティングの中で、全員の共通項は、

「居場所になる」

ことです。

学校じゃなくていいし、家(家庭)じゃなくていいんです。

学校であれば、

・みんなで同じことをしなければならない
・先生の言うことを聞かなければならない
・勉強、部活が上位概念

であることは、時代が変化してきても、やっぱり子供達は感じているんです。

家庭であれば、

・両親との関係
・兄弟との関係
・同世代、等身大のいない孤独感

優しい、いいご両親に囲まれていたとしても、やっぱり両親も兄弟も人間なので、時にエゴが見え隠れすることもあるし、上手くいかない時だってあります。

そんな時に、「なんかよく分からないけど、仲良いおじさん」が本当にめちゃくちゃいい仕事をします。
両親じゃ聞けない「怪我したみたいだけど、部活はどう?」ってフワッと聞けるし、「おじさんは来年で東京オリンピックを二回見たことになるんだよ!」ってシンプルに自慢してきます。

子供達はその話を決し純粋に聞いて、返答する必要はありません。

ただその場にいるだけで100点なのです。

文化人類学にあるように「冗談関係」を場として提供しています。

そりゃね、勉強とか受験とか、そんな話を聞きたくない時だってありますよ。

でも、”その話イヤ!”とも言えないから、興味のないフリをしたり、よそ向いてたり。

それこそが、「居場所」になっているんです。

子供の居場所が、学校と、家庭と、もう1つ違う場所、あるいはあと何個かになる、そんな時代になるのももうすぐだと思いました。

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シニアの方々が、主体的に・楽しく生活し続けられるよう、頑張ります!少しでもご協力頂けると幸いです。