楽はしない偉ぶらない誰のせいにもしない

自分のことが好きか嫌いかたまに考えてきた。そういう、考えても考えなくてもどっちでもいいことを考えて一喜一憂するときというのはたいていひまなときなので、十代のときのほうがよく考えていた。確か嫌いだと思っていた気がする。自分が持っていない部分をあげつらうほうが自分の性に合っているので。

いまは好きとも嫌いとも思わない。失敗したりうまくいかなかったときも、あーやっちゃったな、とおちこみはするものの、自己否定にまで至らない。わたしがだめな人間だから失敗したのだ、とは思わない。そんな大それたことは。

むかしは、自分の悩みが選ばれたものだと思いたすぎて、深刻ぶったりしたかったのだと思う。まあそのときはいっぱいいっぱいだったんだと思うけど、視野狭窄だったので思い通りにならないと力一杯落ち込んでいた。あと、忙しぶったりとか。ぜんぜん時間あるだろ、といま思うと笑えてくる。

胸張って「わたし自分のこと好きですよ」というのは正直いまもちょっと抵抗があって、言わないし思わないのだった。就活時、長所ってなんだ、自己アピールってなにを書けばいいんだ、と本気で思ったクチなので、いまも自分のいいところってなんだろうかなと思う。そこがはっきりしていないので、冒頭の問いにもぼんやりした意見しかいまは持っていないんだろうと思う。

しかし先日アメトーーク!でやっていた「B'z芸人」で、ブラマヨの小杉さんが目の覚めるようなことを言っていた。
小杉さんは『イチブトゼンブ』のある歌詞をきっかけに結婚をきめたそうである。それはサビの一番最後のフレーズ、

愛し抜けるポイントが
ひとつありゃいいのに

たしかにねえ、とその場でも納得したのだったが、これは自分にもあてはめれんだろうか、とあとになって思った。どうせ完璧人間(それだって自分の思う「完璧」であるからして、かなり偏りのある内容なのだ)になんてなれっこないし、嫌いなところは漫然と残り続けるのであるから、それならばひとつだけでも「愛し抜けるポイント」があれば、それで全部許してやったらどうだ、と思ったのだ。ひとつありゃいいだろ、と。

この一週間は期末なので慌ただしくなるであろうから、こうした逃避項目(考えなくてもいいが考えるとすっきりすること)を脳内でめぐらせつつ、なんとかかんとか乗り切っていこうと思う。愛し抜けるポイントかあ。なんだろうな。いなばさんとまっちゃんを愛し抜けるポイントならいくらでも言えるんだけどなあ。

#日記 #エッセイ #保存

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