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話し合いではむつかしい部分

以前ぶりっこについての私見を夫と披露し合ったことがあるが、考え方の違いがおもしろかった。

わたしとしては、わたしにも媚びてくれるぶりっこは好きである。信念を感じるからだし、何より平等であるところがいい。
逆に言えば、男の人や職場での空気を司る権力を持っている女性には媚びるのにわたしのことは雑に扱うタイプのぶりっこは嫌いだ。ウチのこと舐めてんなあ?(※大阪訛りで)と思うからである。媚びなくても別に支障がないと判断されているのが腹立たしい。どうせなら四方六方八方手裏剣(©️忍たま乱太郎ED)のごとく、全方向的にぶりっこしていただきたい。わたしも物の数に入れていただきたい。それなら全然OK。
こうしたことひとつ取っても、やはりわたしは周囲から公平な扱いを受けないと怒り狂うタイプなんだな、としみじみ思う。子供の時も3人で遊んでて、自分以外の2人だけで盛り上がったりすることが異様につらかったからな。いまも複数人でいるとき、ひとりだけ輪に入れてない人がいると気になって気になって話しかけに行ってしまう。わからなそうにしてると今こういう話してたんだよって説明したりとか。

夫の考え方は全く違って、そもそもそういう人たちは、つらいことは人にやってもらって当たり前であるという前提でいる人が多いから嫌いだと言っていた。夫は大変親切でやさしい人だが、基本的に人の関係はギブアンドテイクであるべきだという信念がある。どちらかだけが与える関係を忌避しているので、負担に関しても公平であろうとするわたしと合っているのだった。わたしは人に世話をしてもらおうという気がなく、基本的に自分のことは自分でやろうとするので、却って世話を焼いてくれるのだと思う。いかにも物欲しげにされるとあげたくなくなるけど、何も要らないよ、と言われるとあげたくなるじゃないですか。おそらくそんな感じ。

相手にやってもらう前提で動かないこと。やってもらって当たり前だと思わないこと。これは矯正しようとしてもなかなかむつかしい。夫とわたしは、考え方も性格もぴったり同じというわけではないけども、こういう、話し合いですり合せるには骨が折れるような部分の価値観が同じだから、一緒にいられる気がする。

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