読書感想文〜『人魚の眠る家』東野圭吾
東野圭吾は昔ほんとによく読みました。
ジャンルがミステリー、サスペンスになるので私の稚拙な感想が食レポの「おいしいです」だけのあかんやつみたいになってしまうので書きにくいのですが…。
ちなみに乃南アサもすごく好きなのですが同理由で書きにくい感あります。
そこをどうにか『人魚の眠る家』。
本はあったのですが何かと忙しく読めず、1年間ほど温めていた本を3年前に読みました。
脳死と宣告された親の衝撃、この子は生きてる、認めたくない、と願う母親の行動はどんどん常軌からはずれていきます。
科学的に『元気な姿』に見えるようにする可能な術が身近にあるため、もっとこんなことができる、もっと、もっと、と薫子や薫子に協力する社員の行動に拍車をかけていきます。
薫子と社員の気持ちには差があって、薫子は娘が『事故などなかったと思いたい』『愛する娘の元気な姿を見ていたい』、社員はおそらく『会社に自分の技術を認めて欲しい』『探究したい』。
2人の思いの差もきつかったです。
自分が目を離したばかりに、と自分を責めながら瑞穂のお世話をして、薫子には強く言えない祖母の立場も、
薫子の息子の生人くんも薫子の行動のために周りから距離を取られ、幼いのに親に甘えることも出来ず、それでも家族のことを思っての言動も、読んでいて胸が痛かったです。
こどもの事故や病気は親にとって一番といっていいほどの辛い出来事です。
こどもの辛い様子を見ていたくないし認めたくない。薫子の気持ちや行動は責めることはできないし、薫子も気づいていながら止まるタイミングがわからなくなっていたというところもあったと思います。
ただ、娘の瑞穂ちゃんはどう感じているのか、瑞穂ちゃんはそれを望むのか…ラスト近くまで娘を薫子自身の望む姿に近づけることに必死で娘のことを本当の意味で慮ることはなかったのは、娘を愛するが故に感情が逸脱していたのでしょうか。
生と死の判断とは、人の尊厳とは、など考えさせられる話です。
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