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継続する方法

何かを継続しようとしてもどうしても途中で終わってしまうことがある。
「毎日」と思っていても毎日できないこともある。

中でも多いのは
そのままやめてしまうわけでもない「サボり」なのだ。

言い方を変えれば「息抜き」をしてはまた始める。
本当はそれではいけないことはわかっている。自分で決めたことを続けられないことがどんなに自分自身の自信をなくしているのか。

もういいや!と開き直ってしまえばそれで終わることもあるが、自分の中で悔しさにも似た情けなさと自分に対する嫌悪感を覚え落ち込んでしまうこともあるだろう。

物事を続けるという事、それは自分との戦いだ。

誰に何を言われることもないからこそ、サボれるしやめれるし。
何のために続けるのかという理由がなければ続けられない。

そんな時には必ず「なぜそうなったのか」を考えるようにしたら良い。
原因究明をすれば、次に同じような状態になった場合に回避できるからだ。

で、今回の途中のサボりはなぜ起きたか?

大半は「感情の落ち込み」によるものだろう。
もちろん物理的に体力的にできない状況が続くということもある。

そして、もう一つはその事柄に「満足」するから。
不足感があって始めたものは満足すればそれがゴールだから、それ以上進め理由がない。
もちろん、もっともっとと思うならゴールが再設定され、そのゴールに向かっていけるのだが、目標を達成すればそれ以上はやる気が失せるのも当然だ。

そして最後にやる理由がなくなるもっとも多い理由はそのものが必要でなくなった時。
目標達成と同じように感じるが、少し違って道が変わるとか気持ちがなくなるなど別のことの優先順位が上がってしまうと、人の気持ちは変わる。

感情に左右され続けると行動ができなくなる
例えば、せっかくやろうとしていたことに水を差され、一瞬のうちに気持ちが冷めてしまったり、結果を出した(つもり)のに評価されずに酷評されたり。感情に振り回されると止まってしまうことにつながり、結果「何もできない」状況をうむ。

自分の感情とは裏腹に、物事は淡々と動いて行く。それを知っておくと良いと思う。自分の感情に振り回されているときは周りが見えていないときだから、正常な判断もできないだろう。
そこに身体的な疲れがたまるとダブルパンチで思考なんてできやしない。

だが、現実は着々と動いて行く。周りが見えていないとその動きにすら気がつかず、自分だけが取り残されるという「感情」になるのだ。

止まってしまおうが、やめてしまおうがまた始めれば良い
サボって途中嫌になったとしてもまた始めれば良いと私は思う。
それが、物事を続けるという「意志」に繋がるからだ。

感情が物事を止めるなら感情をコントロールすれば良いし、物理的に難しい状況があるなら環境から変えていけば良い。
それは自分自身への約束が守れるかということと、それに関係する周りの人への約束にも繋がって行くからだ。自分だけならまだしも、他人を巻き込むと簡単にやめれないし、サボれない。時間配分や日程調整などありとあらゆることへの配慮が必要になってくるのだ。
だから、自分一人よりも誰かがいると物事は続く。自由にならないことも多々あるかもしれないが、誰かと一緒に喜びも悔しさも悲しみも共有できると、ゴールに向かう気持ちが強くなり継続できるようになる。

でも一番大事なのはどんなにサボっても一度はやめてしまっても、そこに立ち戻る勇気であり、行動を起こすという決断だと思っている。

その先に大きな結果が待っているのだから。
また今日から新たに始めよう!



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