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変わりゆく自分の役目

会社でもある程度の年代になると次の世代へ向けてのサポートが必要になってくる。自分がやる方が早いとわかっていても、自分の技を若い世代に継承していくことを優先させなくてはいけない時もある。

どの年代でも、それは起こっている。例えば毎年新卒を迎える会社だと新人で入った次の年には自分は先輩になり、新人に教えることも仕事の一つにもなる。

そんなことを繰り返しながら人と人はつながっていくのだなと思うのだが、それは会社だけでなく家庭の中でもあり、社会全体でもある。例えば家庭の中だと親は子供の成長を願い自分が自分の親からやってもらったことをそのまま子供に受け継ごうとする。

親の思いとはそういうものだ。「親になったらわかる」という言葉も巷ではなんども聞いてはいたが、本当に親になってこそわかることがある。それは「信じる」ことだ。

長い人生の中で何もかもが信じられなくなってくることがある。一度は羽目を外し道を外したとしても、自ら気がつけばその軌道修正はいくらでもできる。だが、自分の子供とはいえ一人の人格を持った人間だと、親の思い通りにはならないのが人間であり、また相手を一人の人間として扱うことは「子育て」の中で起こるハードルの一つだと私は思っている。

そこには子供のことを信じる親の気持ちがあるのだが、経験の浅い子供だとしばしば裏切られることもあり、そのたびに親は「信じる」ことを試されるのだ。

では何を信じるのか。もちろん子供の言うことなのだが、そのものすべてを信じることは例え親とて、難しい場合もある。だが、それを信じてあげることがその後の人格形成にも関係してくることもあり、親の真価が試されるところだ。

そして、子供を信じるためには自分も信じなければならない。その子供を信じる自分自身を信じられるか。それがポイントになる。本当に子供のことを信じても良いのか?と自問自答することになるのだが、それは社会に出ても同じことを体験できる。

会社の中でのこと、社会活動の中でのことすべてがつながっている。誰かを信じることができるかどうかは、自分自身を信じることができるかに直結していると私自身思っているので、子育ても会社勤めも経験できることはすべて経験していけると人生の幅が出ることは間違いない。

人生の中での自分の立場は生まれてすぐは子供でありその後学生から成長し自分で稼げるようになる労働者へと変わっていき、そのうち家庭を持つようになると親になり老人になり、その都度自分の立場を変えて、人生を送っていく。

立場が変わると言うことは、役目も変わるはずだ。

子供の頃は親元で立派な大人になれるようにと教育を受けたり経験を重ねたりするわけだが、どちらかと言うと自分のことが中心になることの方が多い。だが、年を重ねるごとに自分だけじゃなく目の前にいる人達や、社会の中のちょっと離れた距離にいる人達のことを考え行動するようになっていく。

そうなると自分の立場も変わり役目も変わってくるのは当然で、自分主体からシフトしていくことは免れない。誰かを育てるということは、自分の持っているものを伝承していくことだと思っている。そして、自分の生きた証を残すのは自分だけで成し遂げることではなく、自分の持っているものを誰かを通して受け継いでいくことなのだ。

それは仕事や家庭、人生のあらゆるシーンで起こっている。子育てとはそう言うものだと私自身痛感している。だから、社会に出ていない母親も引け目に感じることはなく、そのぶん子供に自分のできることを伝えていけば良いだけだと私は思う。

何も世間に認められるような立派な肩書きがなくても、自分の生きた証を残すことはできる。そこにあるのは自分自身の「満足」だ。

いつも不足感を持って生きているのと、気持ちの上で満足感を持って生きるのとでは、同じ時間の使い方でも雲泥の差が出る。

自分の役目がこんなところにあったのかと気がつくだけで、人生は一瞬で「意味のある」ものに変わる。意味を持たせるのはいつも自分自身だ。それを忘れなければ、また自分がやるべきこと、自分の役目にも早く気がつきこの先の人生を彩り良いものに変えられるかもしれない。

過ぎ行く時間の中を彷徨うのではなく、その流れに沿っていれば自ずと自分のやるべきことが見えてくるのも、人生の面白さなのかもしれないな。


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